田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

ラテン系の子ども達との交流

 最近、ひょんなことからラテンアメリカ系の青少年と交流する機会があり、今も続いている。私は某所で柔道を始めているのだが、先日も彼らと一緒に柔道をやった。

 北関東で暮らしていると時折ラテンアメリカ系の顔立ちの方を見かける。大部分はブラジル系であり、なかにはペルー系の人もいる。1989年に出入国管理法の改正により日系人の受け入れを無制限にした結果である。

 (参照)日系ブラジル人:日系人の「日本出稼ぎ」の項 - Wikipedia

 最近は不況の影響もあり、職を失う日系人も多いと聞く。そのせいもあってか国は30万円の旅費を支給して再入国を認めないという制度の運用を開始したようである。

 東京新聞:『日系』資格 30万円で喪失 政府の帰国支援 “再入国”認めず:社会(TOKYO Web)


 私がかかわった子どもは皆、日本生まれの日本育ちであった。出入国法の改正から20年、当然といえば当然か。彼らは家庭内で親との会話にはポルトガル語を使いながらも日本人としてのアイデンティティを持つ。(ブラジル人学校へ通っている子はまた違うようではあるが)中にはすでに父親がブラジルへ帰国してしまった子もいる。その子は、ある程度ポルトガル語を話せるようだが日本で生まれ育ったこともあって、ブラジルへの「帰国」は望んでいないとのことであった。このようにブラジルへ帰国するのかどうかで悩んでいる子どもはこの不況の真っ只中の現在、少なくないようだ。というか、ブラジルからやってきた親の世代とは違って、日本生まれの子ども達の多くは日本に留まりたいと考えているものが少なくないという印象を私は持った。

 最終的には各家庭の状況にもよるのだと思うが、多くの家庭は「帰国」しようかどうしようか悩んでいることだろう。親子が、まさに地球の反対側で別々に暮らしている例を見ると、胸が締め付けられる。


 私は常々ポルトガル語を勉強しようと思っていたので、このような子ども達と「知り合い」になったことは非常に嬉しいのだが、やはり歳のせいか、なかなかポルトガル語も覚えられない。しかし、日本で暮らしている彼らも、ポルトガル語をすんなり理解できているわけではなさそうである。

 先日、何かの拍子に「曜日」の話になった。例えば月曜日はポルトガル語で SEGUNDA-FEIRA という。ある子が「SEGUNDA-FEIRA って火曜日だと思ったよ」と言ったのだ。そこで私はようやく気がついだ。SEGUNDAは「二番目の」という意味だったのだ。
 つまり、月曜、火曜、水曜、木曜はポルトガル語で SEGUNDA-FEIRA, TERCA-FEIRA, QUARTA-FEIRA, QUINTA-FEIRA と言うのだが、それぞれ二番目の曜日、三番目の曜日、四番目の曜日、五番目の曜日、という意味なのであった。日曜日を一番目とすればわかりやすいのだが、日曜が休みなので SEGUNDA-FEIRA つまり二番目は「火曜日」だと思った、というのだ。

 そう語ったブラジル系の少年は、しばらくこの間違いに気がつかなかったらしい。日本語でも曜日をきちんと区別して言えるのは小学校へ入学してからのことだ。ポルトガル語の基本的な言葉や発音を、親から知らないうちに学んだ彼らでも、「曜日」といった比較的人工的な概念は学ぶのに苦労したようだ。曜日に限らず比較的難しい、抽象的な概念を表すような単語は日系人の彼らでも知らないことがあることに、私はポルトガル語の教本を片手に彼らに話をしていて気がついた。私の発音のまずさを差し置いても、難しい単語を使っている文は全然通じなくなるのだった。


 私が知り合ったうちの何人かは、南米へ「帰国」するかもしれない。あるいは(おそらくこちらの方が多い気がするが)日本人として永住するかもしれない。いずれにしても、彼らとポルトガル語で会話することが、当面の私の目標である。