母が先日亡くなった。老衰のため介護施設で。90歳の大往生であった。
なんとか諸手続きも終わりが近づいてきている。多くの人が自分の親の死に立ち会うだろうからこのことに関してブログ記事を書けば共感を持ってもらえるかもしれないし、逆に極めてプライベートなことでもあるので各自共有できないこともあるかもしれないが、もし私の拙ブログが目に止まって役に立つことでもあれば幸いだなと思いつつ、多少雑感などを書き留めてみる。
ウェブがある時代の親の死
私が親の死に立ち会うのは2回めである。今から約30年くらい前に私は父親の死に立ち会った。今と決定的に違うのはインターネットが普及する前だったことかもしれない。
近しい人の死に立ち会ったのは初めてのことだったので(私の父、母はともに5人以上の兄弟の末っ子同士だったので、私は生まれたときには既に祖父母は亡くなっていた)、どうしてよいかわからず、親戚に電話をして聞いてみたり本屋で葬儀や相続に関する本を買って読んだりした記憶がある。
先日の母の場合はウェブである程度の情報を入手した。例えば以下のサイトなど。
無料で有益な情報が手に入るのは本当にすばらしい。現代は、そうかインターネットがあるんだったな…と父と母の死の経験を通して痛感したのだった。
ただし世の中の諸制度は日々更新している。最新の情報に注意することが必要かもしれない。上記に紹介したページは今のところ最新であり、今後も更新していくのかもしれないが。
AIに質問することが増えた
何を今さらと言われてしまうが、母の死をきっかけに生成AI(私の場合は Google Gemini)に質問をすることが増えた。役所での諸手続きの方法、葬儀で困ったこと、相続に関することなど、頭に浮かんだ疑問はほとんど AI との問答で解消といっても過言ではないかも。あまり他人には相談できないことも AI には簡単に聞けるので重宝した。
ただし中には個人情報の漏洩を気にする方もいるかもしれない。私の場合は相続といっても相続税の基本控除額に満たないほどのわずかな財産だし、法定相続人も私と兄弟の2人しかいないので、気にせず質問し続けてしまったのだった。
金融機関を数回訪れたのだが、行内のポスターに相続の相談は我が銀行へ、のようなものが貼ってあったが、私のような小市民は AI との対話で問題が解決してしまうだろうな、と思ったのだった。
AI との対話で問題は解決する…と思ったのだが、実はそうでもなかった。具体的には母が一人住まいしていた古い木造の実家の火災保険が厄介であった。築50年以上の木造家屋は古すぎてウェブで見積もりもできない。AI に聞いてもこういう可能性があるというような例示ではっきりしない。要するに AI の学習対象であるウェブに学習材料があまりないのかもしれない。基本的には人の住まなくなった空き家は一般物件として高い火災保険料の契約を結ばないとならないようだ。最適解ではないかもしれないが「ほけんの窓口」に行ってなんとか契約に結びつけた。
以前 TV の CM で「ほけんの窓口」をみかけて、なんで生保や損保の仲介業で商売が成り立つのだろう?と疑問に思っていたが、対面で直接会って話さないと埒が明かないことはあるようだ。そういう意味で先ほどの銀行内のポスターも今のところ意味があるのかもしれない。
認知症はこわい
最後に母は老衰でなくなったのだが、本当の死因は認知症が進んだことによると言ってよいと思う。5,6年前に私の兄弟と母の言動が少しおかしいようだと話していたのだが、あっという間に母の認知症(3年前にアルツハイマー型と診断を受けた)は進行してしまった。
母の認知症に拍車をかけたのは、2020年ころから国内にまん延した新型コロナウィルスによるコロナ禍だったと思う。あのころ地域の老人会のサークル活動が軒並み停止となり、1年近く母は一人で家にいたのだった。2020年末には実際にはいない人(母には幻がみえていたようである)と会話をするまでになってしまった。そのころから頻繁に怒るようになり、会うと必ずといってよいほど声を荒らげて私を罵倒するようになってしまったのだった。
母の葬儀のあと、親戚や知人からお母さんを亡くして寂しいでしょう等々声をかけてもらったのだが、失礼ながら適当に返事をしたのだが、本心を言えばほとんど寂しくも悲しくもなかった。
私の知っている母はとうに亡くなっている、今は母の外観をした別の何かが目の前にいるだけだ…と最期はそう私には思えていたからでした。それくらい優しかった母は人が変わったようになったのだった。
高校時代に世界史の時間だったが倫社の時間だったかよく覚えていないのだが、アリストテレスが「人間はポリス的(社会的)動物だ」と語ったということを先生がおっしゃっていたような記憶がある。授業中おそらく私はボーッと聞いていたのだが、まさか母の最期にそのことを思い出すとは。人間は他者との関わりの中でしか生きられない、そんなことを母の死に思ったのでした。
母の血を引く私も認知症になってしまう可能性は決して低くはない。食生活や運動、睡眠そして他の方たちと協力しながら、少しでも長く人生を楽しめるよう心がけていきたい。




