田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

AIの進化と未来

 気がついたら一週間くらい前になってしまったが、私は所用で1月1日、元日の夜、片道30kmくらいの距離を一人でドライブしていた。畑に囲まれ自宅の庭先にたまに狸が出没するような田舎に私は住んでいるのだが、かろうじて関東平野内なのでラジオやTVはほぼ都内と同じ局を視聴している。元日の晩も J-Wave の Jam the World を聴きながら運転していた。

 今年最初の放送のパーソナリティは津田大介さんで、ゲストは国立情報学研究所の新井紀子さん。「AIの進化と未来」というお話だったようだ。私は彼女の講演を十年近く前に聞いたことがあるのだが、相変わらず歯切れのよい、頭の良さがにじみ出るような話しぶりだった。現在はAI(人工知能)を東大入試に合格させるというプロジェクトのリーダーをされている。プロジェクトリーダーの大先生に対してジジイ目線の非常に失礼なもの言いだが、本当に可愛らしい方だ。

ロボットは東大に入れるか (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

ロボットは東大に入れるか (よりみちパン! セ) (よりみちパン!セ)

 

 

 対談は、新井先生が好奇の目で見られながらもAI開発に携わり始めた頃の話から、人工知能が仕事を奪うと注目されるようにもなった現在に至るまでの話や、東大入試受験AI「東ロボくん」の開発秘話、AIは何が得意で何が苦手なのか、AIにとって変わられる職業はホワイトカラーにこそある、特に「紙データを手に与信審査を行う半沢直樹のような立場の人こそ危ない」という話が展開されて非常に興味深かった。

 2020年の東京オリンピックにはたくさんの外国の方が来日されることが予想され是非AIで対応したいと先生は考えるが、「翻訳は実は検索」との話も目から鱗が落ちるものだった。中国では翻訳の改善などに必要な様々な人々の音声のビッグデータが急速に収集され進歩が目覚ましいとのこと。日本のような民主主義国家ではデータ収集が簡単には行えないという新井先生の言葉に笑ってしまった。

 

 実は話の細かい点をほとんど忘れてしまったのが、たまたま番組の音声データが YouTube にあることに気づいて、聞き直しながらこの記事を書いている。ちょっと出所がアレなので長期間公開されているか疑問なのだが、しばらくは聞くことができると思う。1時間を超える長い番組だが、部分的に聴くだけでもいろいろと興味深いのではないかと思われる。番組を聞いてない方にオススメしたい。

正月を祝うこと

 ダラダラとブログを書き続けている。2014年までは書くペースが落ちてきたのだが、2015年後半に記事がホットエントリー入りしたこともあって、多少更新ペースが戻ってきた。しかし基本的には個人のブログなので自分のペースで書きたいときに書いていこうと思う。ありがたいことに定期購読している方もいらっしゃるようだが、不定期で更新するので読みづらいと思うが、よろしくお付き合いくだされば幸いだ。

 

 さて、以前も書いたことがあったのだが私は何となくこの時期に正月を祝うことに後ろめたさがある。


 まったく個人的な話だが、自分は若い頃は左翼信奉者だった。理系の大学出身であるのでそれほど強烈ではなかったが学生運動の「残り火」のようなものを体験した。大学になんとか入学して右も左もわからないうちに、たまたま入ったサークルで先輩から「理事長が理不尽にもクラブハウスを壊そうとしている」と呼びかけられて座り込み、シュプレッヒコールなどを体験した。その後どうにか就職できた職場にはこれまたどういうわけか新左翼の某セクトの先輩がいて、今にして思うと私は洗脳されていたのかもしれない。
 昭和が平成に代わり(あの変わり目はすごかった。テレビ、ラジオが通常放送を一斉にやめて終日クラッシク音楽などを流し始めたのだった。日産が流していた井上陽水さんの「お元気ですか?」というCMが突如放送中止になったりした)、まさかの自民党社会党の連立による村山政権が誕生し、オウム事件が起こって「洗脳」という言葉が一般に使われるようになった頃から、今まで自分が信じてきた思想はなんだったんだろうかと思うようになったのだった。その後パソコン通信からインターネットの民間への普及を経験し、徐々に考え方が「民族派」というかネット右翼に共感するようになった。最近はその行き過ぎに危惧することもある。要するに今の私は昔でいうところのノンポリに近いのかもしれない。

 

 さてそのどうでもよい私の個人史と「正月を祝うことの後ろめたさ」がどう関係するのかというと、私は社会人になりたての頃、「元号法」に反対していた時期があった。この時期になると年賀状に「昭和○○年」なり「平成○年」と書くことに抵抗を覚え、しばらくは西暦で賀状を書いていた。ところが先ほどのように左翼思想への批判を覚えてきた頃から西暦を使うことにも何かしっくりこないことを感じて自分なりに暦について調べてみたことがあったのだった。驚いたことにかつて日本では2月11日の建国記念の日(旧紀元節)が元旦だったのだ。

紀元節 - Wikipedia

 もう少し丁寧にいうと日本書紀神武天皇が即位された日と思われる日を新暦グレゴリウス暦)に置き換えたのが2月11日ということか。たしかにあの頃ならば「初春」とか「迎春」という気分になるのではないだろうか。


 では現在世界的に使われているグレゴリウス暦ではなぜこの時期が、この冬至でもなく、旧暦の正月のような冬至後の新月でもない非常に「中途半端な」時期が1月1日なのだろうか。この点はどうもよくわかっていないらしい。

www.nao.ac.jp

結局、1月1日というのは、古代ローマ時代の暦の上で、名前もついていなかった冬の期間の前半がIanuarius (January)と呼ばれるようになり、それがいろいろな変更を経ながらも現在まで続いてきたという、長い歴史的経緯で決まったものです。天文学上の理由があって「1月1日をこの日とする」と決めたものではないのです。


  題名を失念してしまったのだが、ローマ役人の、冬至から始まる休暇が終わる頃を新年とした、ついでに冬至ヨーロッパに広く存在した冬至祭が後にクリスマスの母体となった、と書いてある本を読んだことがあった気がする。いずれにせよ現在の1月1日には天文学的な必然性はない。

 

 そんな体験があるので、今だにどうもグレゴリウス歴の1月1日の初日の出に向かって狂喜乱舞する(?)人たちの気持ちがわからないのだ。

 とにかく何はともあれ今年も良い年であることは願わずにはいられない。そして今年こそはスペイン語検定5級を取得するぞと、なんだかんだ言ってグレゴリウス歴の1月1日に私は思うのだった。 

  やはり私はノンポリだ。

 

 

 

エピソード7を見てきた

 一週遅れでスター・ウォーズ・エピソード7を見てきた。「そう来たか!」というのが見終わっての感想。ネットのブログでも先週公開時に見てきた同僚も「ネタバラシはしません」と言っていた意味がわかりました。私もしないことにする。

 

 先日もこのブログにも書いたが、1978年の日本公開をリアルに体験した爺さんとしても非常に満足のいくデキだったと思う。しかし皆さん年取ったな。私も年を取るはずだ!

スター・ウォーズがやってきた - 田舎者Yの日記


 帰ってからエピソード7の批判記事をウェブで漁って読み返した。たしかに批判される理由はある。今までの繰り返しではないか、ストーリーが御都合主義ではないか等々。でもそれも含めてスター・ウォーズじゃないかと思うんだよ、私は。

 

 それから新しい主人公たちの体当たりの演技というかフレッシュさが非常に良い味を出している。特に主役の一人のレイ役のデイジー・リドリーは、決して完璧な美人ではないが演技が素晴らしい。映画を見終わったあとは非常に魅力的な女優さんだと思った。イメージが固まってしまうだろうから難しいかもしれないが、今後の活躍を期待したい。

 

 私が偉そうにいうことではないが、三部作は2作目が鍵を握るだろう。旧シリーズの2作目にあたるエピソード5はファンの間で高く評価されていることを最近になって知った。たしかにあれは面白かった。エピソード8は、2017年5月に米国で公開されることが既に発表されているようだ。待ち遠しい。この日を目標(?)に日々暮らして行こうと思う。

 

 今回私は3D吹き替え版を見たのだが、考えてみたら吹き替え版をDVD以外のスクリーンで見たのは初めてであった。吹き替えもなかなか良いデキだなと思ったんだが、やはりオリジナルの音声も聞いてみたい。是非また字幕版を見に行くつもりだ。

 あのセリフを確認しなければならない。多分あのシーンであの人が言ったと思うが。

セーム皮でガラス掃除

 クリスマス、大晦日がカウントダウン圏内に入ってきた。ちょっと街がせわしない雰囲気になってきた。我が家でも暇をみては普段掃除をしない箇所を掃除しているのだが、先日窓ガラスをセーム皮で拭いたらキレイになったので、ちょっと満足している。

 ここ私が言うセーム皮は本物ではなく、洗車の拭き取りに使うプラスチックの合成セームという製品だ。車を所有している人なら大概持っているのではないだろうか。
 本来ならばワイパーのような専用道具を使ったほうが良いのだろうが、大型なので収納に困るし意外と使うのが難しかったりする。さりとて普通の雑巾だとどうしても拭き跡が残ってしまう。乾いた雑巾で二度拭きして仕上げをすれば良いのかもしれないがちょっと面倒だ。その点洗車用のプラセームなら、しっかり絞って吹けばほとんど拭き跡がない。(水気が残ると多少拭き跡ができる。しかし雑巾よりはマシなレベル)比較的簡単にガラス掃除ができるのでオススメしたい。

 

 ちなみに本来のセーム皮は鹿の皮だ。なめしてあるのでセーム革と書くほうが正しいのかも。私は、独身で散財していた頃、本物のセーム革を持っていた(結婚したとき私にはほとんど貯金がなく、カミさんに叱られた記憶がある)。たしかによく水気を拭き取れたと思う。私はバイクに乗るのが趣味なのだが、鹿革の手袋も持っていた。こちらはセームではなく単なるディア・スキンだった。とても柔らかく手に馴染んだが、高価の割に短期間で擦れて破れてしまい、それ以来ディア・スキンの手袋は使っていない。

 

 調べてみると本物のセーム革は宝石の拭き取りなどに使われるらしい。

ジュエリーこぼれ話 » セーム皮

 

 本物のセーム革、ジュエリー…今の自分とは縁がない話だな、と呟く年の瀬である。

スター・ウォーズがやってきた

 気がつけば半世紀以上生きてしまった。子どもの頃自分が高齢になった姿を想像したことはあったが意外と早くそうなったな、という感想。

 私は正直言ってあまり映画を見るほうではないのだがどういうわけかスターウォーズ・シリーズだけは見続けている。今、エピソード7「フォースの覚醒」が公開されているが、そのうちに見に行こうと思っている。

 公開直後の評判は辛辣なものが目についた。

【炎上】新作スターウォーズがあまりにも駄作すぎて観客が絶望「駄作感がハンパない」「見なきゃよかった」 | バズプラスニュース Buzz+


 やはり見るのをやめようかと思っていたが、 id:n-styles さんの記事に救われた。仕事が収まったら安心して見に行こうと思う。

n-styles.com

 私は n-styles さんがいう「人生をスター・ウォーズに捧げたガチのマニア」ではないのだが、1978年に公開されたエピソード4から見ているという点では私の人生はスターウォーズとともにあったといっても過言ではないかも。

 しかし当初公開された時点で「エピソード4」とは銘打ってなかったと思う。公開からしばらくたって「Episode IV New Hope」という副題が発表になり全部で9部作なんだ、と知らされたのだったかと。そのとき何となく「全シリーズをみたいな」と思ったものだった。

 たしかエピソード3の公開後にジョージ・ルーカスが「もうこれでオシマイ。エピソード7以降は作らない」と宣言したと思ったが、直後に「スター・ウォーズの鉄人」というサイトに必ずルーカスはこれを撤回して9部作を完成させるだろう、という予想が書かれていたと記憶している。実際その通りになった。ディズニーに買われたことで当初のルーカスの作品とは違うものになった可能性はあるが。


 先日、町山智浩さんが出演したラジオ番組の書き起こしを目にしたのだが非常に興味深いものだった。やはりスター・ウォーズはルーカス彼自信の人生を投影したものでもあったんだな、と妙に納得した。

町山智浩 スターウォーズ6部作に隠されたジョージ・ルーカスの人生を語る


 しつこいのだが私は1978年にスター・ウォーズの初回作を見たのだが、面白くてスゴイ映画だとは思ったがこれほどメジャーなヒット作になるとは思わなかった。日本公開当時、いろいろな宣伝を行っていたのだが、私には妙に「出没!!おもしろMAP」という番組に帝国軍兵士(のちにストーム・トルーパーというのだと知った)が出演していたのを覚えている。かの有名作品も当初はなりふり構わぬ宣伝をしていた感がある。「出没!!おもしろMAP」は清水国明夫妻(当時結婚していたか?)の軽妙な司会で人気のあった番組だ。私はスターウォーズというとどういうわけか、この番組の名物企画ムキムキマンのエンゼル体操を思い出してしまう。


 こういうスター・ウォーズファンは私の他にいないだろう。とにかくこの映画は戦後の高度成長や激しい学生運動も終焉を迎えて、まだバブルの萌芽もみられない非常にダランと弛緩したような時代に公開が始まった、と私は記憶している。


 この公開の前年には市川崑監督の「犬神家の一族」が公開された。たしか私がみたストーム・トルーパーが現れた「出没!!おもしろMAP」は「犬神家の一族」の原作者横溝正史先生の自宅が舞台の回だったと思う。当時少年だった私は横溝先生の金田一耕助シリーズを夢中になって読んでいた。まさかのちにその孫を題材にした漫画がヒットするとは夢にも思わなかったが。

 また横溝先生の金田一シリーズも読んでみようかなと、結局は映画に関係のないことも思う年の瀬である。

Chromebookを買った

 

 Chromebook が欲しくなり、 Asus C300MA を買ってみた。きっかけは実機を操作する機会があったことだ。phaさんの記事も背中を押してくれた。

pha.hateblo.jp

 WindowsMac ではないOSで、基本的にネットに接続して使うものなので万人にお勧めできるものではない。私が使ってみた限りでは SilverLight を使ったニュース動画などは見ることができなかった。また Chrome OS は Google Chrome と UI が類似しているが、逆に Chrome を使ったことがない方は戸惑ってしまうのではないだろうか。

 

 個人的には以前(他社製品だったが)Chromebook の実機を使った経験もあって非常に満足している。軽くて、バッテリーの持ちが良く、動作が軽快で、値段が安い。万人向けではないものの、割りきって使える方にはお勧めかもしれない。


 基本的にネットに接続して使用するのだが、一度ネットで認証したアカウントはオフラインでもログインできることを知った。おそらくは OS のバージョンにもよるかもしれない。しかしオフラインでログインしてもやれることは限られる、というか通常はほとんどのアプリは利用できないだろう。とにかくオンラインで使用することを前提としている。

 で、早速改造して使っている。 USB 3.0 対応の小型の 64GB USB を一緒に購入し、そちらに crouton を利用して Ubuntu 14.04 LTS をインストールして使っている。改造方法は以下のページを参照した。

chrome.hatenablog.jp

 私の場合、別の Ubuntu デスクトップで USB のデータを用意したのだが、途中のマウントポイント(デバイスファイル、か)は /dev/sdc だった。これを間違えるとストレージを壊してしまうので注意されたい。 普通の方はそんなことをしないと思うが、私はアホなことにメイン機のシステムを壊したことがある。

HDDのデータを破損した - 田舎者Yの日記

 それから、この方法で UbuntuUSBメモリにインストールした場合、Ubuntu を終了するときに絶対に Ubuntu 側でシャットダウンしてはならない。Ubuntu でログアウトし、shell コマンドが終了するのを待って Chrome OS を終了する。Ubuntu 側でいきなりシャットダウンすると Ubuntu のログインユーザに関する情報が壊れる場合があるようだ。具体的には、私の場合 sudo が使えなくなった。おそらくログイン中に passwd でログインユーザーのパスワードを変更したのだが、終了動作が完了しなかったことによりパスワードに関する情報がうまく同期されなかったことが原因ではないかと個人的には思っている。私の場合、この USB メモリを外して別の Ubuntu マシンでマウントし、"sudo chroot /hoge/chromebook/chroot/"  のように chroot して passwd コマンドで強制的に別のログインパスワードに変更した。この方法が正しいかどうかわからないのだが、何とか今も通常通り使えている。

 

 Chromebook で Ubuntu を起動するときに デベロッパー・モードの起動 → Chrome OS にログイン → crosh で shell を起動 → startunity で Ubuntu を起動、 と結構時間がかかるのが難点。一旦起動すればスリープしておくものか。Ubuntu を使用しているのは自己研鑽も兼ねているのだが、予めインストールしておいた Ubuntu アプリを使って文書などを作成し、USB メモリに保存し、オンラインになったときにネットにアップロードする、という使い方を私はたまにしている。何しろ私はモバイルルーター等を持っていないので(苦笑)。
 モバイルルーターを持たずに外で Chromebook を使う人は少数派かもしれない。

 

 それから私はこのマシンをオンラインショッピングで購入したのだが、実機を扱っているお店を探して前橋まで見に行った(北関東ではほとんどそういうお店がなかったもので)。オンラインの価格より1.5倍くらい高くてビックリした。おそらくは保障とかを付けているのだろうが、それでは低価格のChromeboook の良さが半減してしまう。というわけでネットで購入してしまった。

 

 今回の購入のきかっけは Chromebook の実機を操作したことなのだが、その際 Google 社員の方と二、三言葉をかわす機会を得た。詳しくは書けないが、Google に関することでもネットで検索できないことはたくさんあるんだな、ということを知ったことが収穫であった。極めて当たり前のことではあるが。

challenged な人々

 challenge は「挑戦」または「挑戦する」か。過去分詞形の challenged は「挑戦されている」あるいは「挑まれている」くらいの意味かと思っていた。

 

 先日、私のブログとしては驚異的にブックマークされた記事の続きのような話である。今日たまたま帰路についたクルマの中で放送大学を選局したら、あの「英語の軌跡をたどる旅」の最後の数分を聞けたのだった。ラッキーだった。多分「第11回 正しい英語(1): 規範文法の産声」の、本当に最後の部分だったと思う。最初から聞けなかったので講座の内容はほとんどわからなかったのだが、二人の講師が雑談形式で、「正しい英語」というものが段階を経て変遷していったということをまとめているようであった。まもなく講義終了というときに PC(ポリティカル・コレクトネス)の話題になった。PC は政治的に中立で差別や偏見を含まない表現を使うことかと私は認識している。PC を意識した「正しい」英語表現も作られてきた、というような話だったかと思う。

ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia

 

 突然一人の講師の先生がもうひと方の先生に「horizontally challenged って言葉をご存知ですか」と聞いたのだった。冒頭の語である。この場合の challenged は「不自由のある」、「障がいのある」に相当するような言い換え表現だったのだ。全然知らなかった。

「チャレンジド」という言葉について | プロップ・ステーション

 

 horizontally challenged とは「水平方向に不自由さ(障がい)がある」、つまりは「太っている」ということの言い換え表現であった。なんだ私のことか!

 

 調べてみると challenged を含んだ表現がたくさんあるようだ。以下のブログに詳しい。

働く主婦の独り言:challenged

 嗚呼、私は follicularly-challenged でもあるのか…。

 

 兎にも角にも、また一つ賢くなった気がした帰り道であった。