田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

北橘中の生徒さんのコメント

 今日、再び北橘中学の生徒さんからコメントをいただいた。素直にうれしかった。(でも自分がすごく年寄りに思えるのはナゼ?)

 コメント欄に書こうとしたのだが、長文になるので記事に起こしてみた。(といっても大した記事ではないが)


 現在、北橘村は渋川市に編入されてしまったのだが、Wikipediaに北橘村の項目がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%A9%98%E6%9D%91

 詳細は↑のページを見てほしいのだが、旧北橘村は「橘山」の北側に位置し、南側にはかつて南橘村があった。

 
 さて、ここから先は私の記憶になるので真偽のほどは正確ではない。

 私が昨年書きはじめたこのダイアリーの最初に、北橘村のことを書いたのは昔見たNHKのクイズ番組の記憶があるからだ。(番組のタイトルは失念)

 元来、この地域の人々は自分達の村を「ほっきつむら」と呼んでいたそうである。この地域の名称を正式に自治省(だったか?)に登録する際に当時の村長(?)さんが「『たちばなやま』の北にあるので付いた名前だから本来は『ほっきつ』ではなく『きたたちばな』が正しい!」というので正式な村名を「きたたちばなむら」にしてしまった。以来、NTT(当時の番組では電電公社と言っていたと思う)の電話帳でも「ほっきつむら」の項目がなくなり、地元の人でも検索するのに苦労するようになってしまった。それが証拠にはこの村の中学は漢字で北橘村立北橘中学校と書くのに、読みは「きたたちばなそんりつほっきつちゅうがっこう」と北橘を二通りに読むようになってしまった…、と紹介してあったのだ。(ただし、あくまでも私の記憶によると、である)
 「地名というのは案外いい加減な(不確定な)ところもあるのだな…」という思いとともに、この話が私の記憶に残ってしまった。それが私の引越しのエピソードで想起され、北橘のことをダイアリーに書くに至ったのである。


 群馬県というのは私にとって何となく魅力的な土地である。それは私が子供の頃、自転車で利根川を越えて遊びに行ったりしていたかもしれない。ちょっとの間、自分が「異邦人」になった感覚を楽しんだものだった。この少年期の体験が今日の私のバイク趣味や、ふらりと一人旅に出かけてしまう性分に繋がっているのかもしれない。

 このことはまたいずれ、このダイアリーに書いてみたいものだ。