田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

 岡部町ゆかりの六弥太

 人間中年を過ぎると歴史小説に興味を持つようになるとおっしゃった人がいる。私の場合は歴史そのものに興味が湧いてきた。人生も半ばを過ぎると、自分の人生と比較して他人の人生が気になるものかもしれぬ。
 それにしても高校時代、日本史や世界史が苦手だったもので、間違えて理解していたり、断片的に過ぎない自分の知識を再確認してしまう。今からでも勉強しなおせば良いのだろうが、つい億劫になってしまう。

 今年のNHK大河ドラマは「義経」である。私が住む関東地方には関東武士団に関する史跡が数多くある。私が住む岡部町は「岡部六弥太忠澄」という武将のゆかりの地として知られている。一ノ谷の戦いで平忠度を討った人物である。

熊谷直実と岡部六弥太

 前述の通り、歴史に関して断片的な知識しかないのだが、どうも何かにつけて
近くの熊谷市ゆかりの熊谷直実と比べて岡部六弥太は扱いが小さい、というか
ほとんど話題になることがない、ということをウスウス感じていた。
 しかし、それはきっと大きな街、熊谷市と片田舎の農村である岡部町の差だろうな、と思っていた。

 上記のようなことは多分にありえることだと思うが、六弥太のことを調べて
みると単に生まれ故郷の大きさだけではないということに気がついた。六弥太は
平忠度を討ち取ったあと悩み、自殺しているのだ。謡曲「忠度」や「俊成忠度」に描かれているらしい。(下記 和田完一氏のページ参照)
http://www.geocities.jp/kanwada35/okabe.htm

 本当は討ちたくなかった年下の平敦盛を討ったこと後悔し、仏門に帰依した熊谷次郎直実。忠度に首を切られそうになったところを家来に助けられ、逆に観念した忠度に首をもらった六弥太。その後そのことを悔やみ現神奈川県葉山町にて自害してしまったのだが、これでは後の扱いも違ったものになろう。

六弥太の最期

 しかしながら、前述の和田完一氏も触れているのであるが、石川県押水町に六弥太が建てた家というのが残されているそうである。六弥太は能登へ流れ着き帰農したというのだ。葉山での自害と能登での帰農、一体どちらが本当なのであろうか。

 自分は高校卒業後、理系の道を選択したのであるが、このような歴史の曖昧さが気にいらなかったのかも知れない。逆にいえばこれが歴史のロマンというものかもしれぬが。今の自分としては、実は六弥太は自殺せず、能登で平和に暮らした…ということを信じたい。

 それにしても大河ドラマではおそらく六弥太は登場しないだろうが、ドラマの今後が楽しみである。