田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

トヨタはネットユーザを過小評価しているのか

 私はバイクやクルマが大好きで、道楽で各種乗ってきたが実はトヨタ車を所有していた時期が一番長い。トヨタが大好きであった。しかし輸入車に乗ってから「はたしてトヨタってそんなに良い車(あるいは会社)なのだろうか」という疑問が頭に芽生え、日々大きくなっている。そんな私にまたしても「さもありなん」という出来事が目に止まった。今日の記事でも紹介した富士スピードウェイでのF1レースの開催手法があちこちで非難され始めている。一例を下記に挙げる。

 ネットゲリラ: とよた-る 【 トヨタる 】 ぼったくること。


 レクサスの国内展開で苦労しているだろうに、これで若者のトヨタ離れすら懸念される(トヨタ離れというよりクルマ離れか)。いくらF1人気だからだと言ってもレースカーが見えないシートに6万円も取るようでは、ネットで散々叩かれることになるのは火を見るより明らかではなかったのか。(クルマが見えなかった席の代金は一部返金とか決まったようだ)

 上記のページで下記の書籍を知った。

トヨタ・レクサス惨敗―ホスピタリティとサービスを混同した重大な過ち

トヨタ・レクサス惨敗―ホスピタリティとサービスを混同した重大な過ち


 この本に関しては下記の記事が興味深かった。
  税理士吉田貢の辛口ダイアリー - 2006-06-29

 良い評判を築くのは一朝一夕ではできないが、評判を落とすのは坂を転げる石の如しである。

東京へ行ってきた

 久々にバイクで東京に行ってきた。キジが鳴き狸が闊歩する田舎から数時間で都会へ出ると変な感じがする。都会の街並みを見るとお洒落で綺麗なのだが、土が見えないことに物凄く違和感を感じるのだ。

 折角なので六本木ヒルズ森タワーの周辺を通る。すっかり道に迷ってしまった。私は自分でも方向感覚が悪くないと思っているのだが、雨で太陽も見えず気がついたら逆走していたようだ。この道に迷う感覚は嫌いではない。

 ボクサーハウスでいろいろと面白い話を聞いた。そうか、ホンダはスクーターを除いて250cc以下の新車販売を止めるのか。バイクも売れない時代になってしまったんだな…。


 高速を使わず、一般道を走行したこともあって、クラッチを切る方の左手が痛くなった。以前はこれほど痛くなることはなかった。自分の体力の衰えを痛感した次第。

 そんな今日、以下の記事が目に止まった。私はまだ老齢というには早いが内田先生のおっしゃることはよくわかる。

 老いの手柄 (内田樹の研究室)

鮫洲へ

 今日は雨。仕方がないが約束したので鮫洲へ行く。バイクで都内へ行くのは一年ぶりくらいだ。首都高がそのうち値上げするようなので、今日は首都高を使わずに行ってみる。

 ボクサーハウスへ行くことは私にとって無類の楽しみだ。ウェブで検索するとお客さんたちによる情報も増えてきている。もし拙日記をご覧の方でBMWの(特にOHVの)バイクをお持ちの方がいたら一度整備されることをお薦めする。きっと満足することだろう。

 難点はうちから遠いこと。(なので高崎のヤナセモータースBMWにもお世話になっている)
 お客さんの中には北海道(!)の方もいるそうなので、関東住まいの私は恵まれているのかもしれないが。

   Boxer haus - BMW MOTOR CYCLES -

富士スピードウェイ

 知人でわが心の師匠であるPawpawさんがお子さんと一緒に富士スピードウェイに行くようなのだが、大丈夫なのだろうか?

 痛いニュース(ノ∀`):F1・富士スピードウェイ、バスが大渋滞 会場内に取り残される観客多数

(それともチケット買ってないのかな??)

お留守番

 28日(金)は息子・娘の小学校は運動会の代休であった。この金土は母親と一緒に東京ディズニーランド&シーに行ってきた。つまり私は留守番であった。最近、こんなのばっかりである。…と言いつつも久しぶりの一人を楽しんだ。しかし食事は義母が用意してくれたのだが、掃除をやってみると日常の家事が大変なことが改めてわかる。


 引っ越してきてから観葉植物をいくつか育てているのだが、パキラが大きくなったので植えかえをした。思ったより根がはっていたことに驚く。ちょうどよい植えかえ時期だったかもいれない。以前私はよく鉢物を枯らしてしまったことがあったのだが、専業農家である義父から「水のやりすぎもよくない。それから適度な日当たりに肥料をやること。おそらく観葉植物は直射日光は避けたほうが良いのでは。」と言われて、その通りにしていたら結構大きくなった。さすがプロの農家である。私の場合、すぐに鉢物を枯らしてしまったのは水のやりすぎが原因だったようだ。過ぎたるは猶 及ばざるが如し、である。