田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、しばらくコメントは承認制にします。)

日の出・日の入りが一番早い日・遅い日について

オフィスワークをしていた頃はまったく気にならなかったのだが、定年退職して農業に従事し戸外で働くようになると日の出・日の入りの時刻が気になりだした。特にこの記事を書いている1月、特に上旬の頃は日の出が最も遅い感じだった。今は少しずつ早めに明るくなりだしている感じだ。

 

日の入りは12月上旬の頃が最も遅く、自治体の防災無線がチャイムを鳴らす午後5時は真っ暗という感じだった。今の5時はまだ明るい感じである。12月の下旬の頃の冬至がもっとも日の出が遅く日の入りが早いというわけではない。もちろん1日の長さは冬至の頃が一番短く感じられる。しかし日の出・日の入りの時刻は別だ。このことは国立天文台のサイトに解説が載っている。

www.nao.ac.jp


1日の長さであれば、これはちょうどお昼の太陽が真南に来る南中高度によって決まる。南中高度の高い夏至の頃に一日の長さが最も長くなり南中高度の最も低い冬至に一日が最も短くなる。しかし日の出・日の入りのピークの時刻は夏至冬至とはズレている。

 

これは太陽がちょうど真南に来る南中時刻が正午とはズレることから生じる。やや日の出が遅く日の入りが早くなってきた今は南中時刻が正午より遅いということだ。これはなぜそうなるのか。上記のページだと「太陽の通り道である黄道天の赤道が23.4度傾いているため、太陽が天の赤道に対して動く速度が一定ではない    地球の公転軌道が楕円であるため、太陽の日々の進みが一定ではない」ということによると解説している。


後半の、地球の公転軌道が楕円であるため太陽の日々の進みが一定ではないことはケプラーの第3法則によるのだろう。地球は太陽の周りを楕円軌道を描いて公転し、その公転速度に関しては太陽と地球を結ぶ動径が公転面を掃く面積が一定であるということ(面積速度一定)による。北半球に住んでいると意外だが冬至の頃のほうが地球は太陽に近く公転速度は速い。夏至の頃は逆に遅い。

 

それにしても、なんで地球の自転軸が公転面に関して傾いていると南中時刻がズレるのかいまいち理解できなかったのだが、以下の動画をみて納得した。

youtu.be


地球の自転時間は24時間ではない。約23時間56分と24時間より4分短い。なぜ短いのかというと、地球が一回転する間に地球自身が公転しているので太陽が元の位置にはいないからだ。一回転してから4分くらいしてやっと太陽の方を向く。南中から南中までを1日と定義すれば1日は地球の自転時間よりも少しだけ(太陽の方へ向き直すため)長くなるわけだ。さらに公転面に対して傾いている地球の自転軸を真上方向だとイメージすると、冬至から春分に向かう今の時期は地球が傾いている公転面の坂の上を登っているため太陽の方に向き直すのに時間のズレが生じ、南中時刻が遅くなるということか。

 

模型(モデル)を見れば容易に理解できることがあるのだなと感心した。

Windows11でライセンス認証が通らない場合があるそうだ

Windows7,8 から11へアップグレードしたPCでハードウェア構成を変更した後、Windows11のライセンス認証が通らない場合があると報告している動画をYouTubeで見つけた。うぷ主は個人的見解も含むと断っているが、おそらく確度の高い情報なのではないか。詳細は動画を見てほしいが、CPUやマザーボードなどのパーツを交換して使い続けている自作系ユーザーに対する影響は大きいだろう。

youtu.be

私も以前はベアボーンキットで組み立てたことがあるのだが、最近は面倒になりショップ系PCというか、既に組み立て済みのものを購入している。しかし次はマザーボード、CPU、メモリ等の交換で筐体は使いまわそうかと考えていたので気になる情報だ。

 

ところで巷では次期 Windows と想定される「Windows12」に関する情報も散見されるようになってきた。今までのサイクルからいうと 2024年には新しいバージョンが発表される可能性が高いようだ。例えば以下の動画などで言及されている。

youtu.be

ハードウェアの要件が実装メモリ8GB以上とか、サブスク化するのではないかとか、いろいろと気になる。というが、私の場合は Linuxデュアルブート化して自宅PCを使用しているのだが、これ以上 Windows に金をかけたくない。しかし、e-Tax による税申請など、どうしても Windows でないといけない場面もあるのでおそらく時期が来たら OS を含めて更新するしかないのだろう。それまで私の場合はハードウェア構成を変えずに今の Windows11 を使い続けて行こうと考えている。

アメリカ合衆国は肥満の国

 こんなことを私がわざわざ書かなくても米国民の肥満率が高いことなんて周知の事実だろう。


 前回のブログエントリーにも書いたが漫然とYouTubeを眺めることが多くなった私だが、たまたま以下の動画が目に止まった。旅系YouTuber というのだろうか、Bappa Shota さんの「アメリカで最も肥満率の高い街の闇深い実態が恐ろしすぎた」という動画である。

youtu.be

 うーむ、どこかで聞いたような話だなと思って思い出したのが「スーパーサイズ・ミー」というドキュメンタリー映画だった。

ja.wikipedia.org

 改めて Wikipedia で確認したら2004年の作品だった。ついこの間の映画だと思ったら20年近く前のものだったのか!そういえば私はこれを劇場ではなくレンタルビデオ屋さんで借りたDVDで視聴したと記憶している。レンタルビデオ屋さんにも最近はほとんど行かなくなってしまったので、たしかに20年近く前に見たのかもしれない。

 

 ということは肝心のアメリカは全然変わってないのだな、と悲しくなってしまった。また Bappa Shota さんの動画でも話されているように本当に恐ろしいのは食品メーカーである。子どもへの誘惑は何も米国だけではあるまい。日本の子どもたちだって、それよりも大人たちでさえ相当ヤバイのかもしれない。私は農業を従事することになって、毎日肉体労働をしているせいか、定年退職してから15kg近く体重が減ってすっかり健康体になったのだが、前職を続けていたら糖尿病になる危険性があったかもしれない。

 

 ところで検索すると「スーパーサイズ・ミー」は日本国内からでも YouTube で無料で視聴できるようだ。

youtu.be

 以前見たときも冒頭で子どもたちが合唱している曲が気になっていたのだが、どうも Fast Food Song という曲のようだ。Fast Food Rockers というイギリスのグループが歌って一時ヒットしたようだ。ちょっと昔の謎が解けて嬉しい。

youtu.be

 ただし、これまた Wikipedia (英語版)の情報なのだが、Fast Food Song 自体はこのグループが歌う前から存在していたようだ。ある種の「わらべ唄」みたいなものだったのだろうか。

en.wikipedia.org

 我が家では子どもたちはすっかり成人となってしまい食生活を親が心配する状況ではなくなってしまったのだが、発達障害でやや変わった長男だけは相変わらずジャンクフード好きなので心配といえば心配である。たまに彼と一緒に近所のバーガーキングへ行くのだが、私よりも痩せているのが不思議である。いずれにしてもファーストフードの食べ過ぎは健康には良くないのだろうから、もっとバランスの良い食事を考えて外食したいのだが、無理だろうなと思っている。スーパーサイズにならなければ、それでも良いかなという気がしないでもない。

青空文庫のオーディオブック「青空朗読」を知った

歳のせいか本を読むのがつらくなってしまった。一つは老眼で細かい字が見えにくいこと。もう一つは堪え性がなくなったというのか、集中して一つのことに取り組むのが苦手になってしまったのだ。前者はメガネ(老眼鏡)をかければどうにかなるが、後者はなんともならない。最近は暇があればYouTubeをダラダラみることが増えたのだが、それが堪え性のなさに拍車をかけたのかもしれない。

もし本も音声で聞くことができれば楽なんじゃないかな?そういえば著作権の切れた作品をボランティアがウェブに公開してくれる「青空文庫」というのがあるが、もしかしたらアレのオーディオブックなんてあるんじゃないのかな?と思い立って検索してみたらすぐに「青空朗読」というものがみつかった。青空文庫と同様にボランティアによる朗読のようだ。非常にありがたい。

aozoraroudoku.jp

ためしに私のブログでかなり前に触れたことのある小泉八雲の「常識」を探してみたら、音声があった。

aozoraroudoku.jp

これまた感謝感激である。9分17秒の音声データである。もしこのブログを目にした方で八雲の「常識」をご存じない方がいたら是非聞いてみていただきたい。怪談で有名な小泉八雲の作品らしく実に不思議な作品で、結末がなんとも言えないものである。私も日本語訳の朗読を聞いてみたが、私は果たして常識を身に着けている人間なのだろうかと改めて自問したのだった。

 

小泉八雲の「常識」の原作は英文の ’Common sence'。青空文庫の「本家」とも言うべきプロジェクト・グーテンベルクにも載っている。

https://www.gutenberg.org/cache/epub/55473/pg55473-images.html#Common_Sense


探してみるとAIによるプロジェクト・グーテンベルクの読み上げサービスもいろいろあるようだが一部有料だったり条件付きで無料だったりと様々のものがあるようだ。日本の青空文庫もいずれはAIによる読み上げサービスなども行われるのだろうか。貧乏人の私からすれば無料で音声データが手に入れば嬉しいが、なんでも無料を期待すると開発する側のモチベーションも下がるだろうから、米国のように有料サービスで提供されるのも良いのかもしれない。この辺の読み上げサービスに関しては今回、私はよく調べていないので、ひょっとしたら日本語でも既に始まっているのかもしれない。

 

それにしても青空朗読の朗読音声はすばらしい。今後もボランティアによるサービスが続いてほしいと、何の支援もせずに自分に都合の良いことを思ってしまうのであった。私には常識がないのかもしれない。

Ubuntu 23.10 の配布にトラブルがあった模様(ウクライナ戦争の影響か?)

 10月12日は Linux の人気ディストリビューションの一つ Ubuntu の半年に一度の新バージョンのリリース日だった。新バージョンは Ubuntu 23.10 Mantic Minotaur である。 私は10年以上 Ubuntu を愛用しているのだが、都合により12日にはダウンロードできず13日にダウンロードサイトを兼ねた Ubuntu.com にアクセスしたのだった。しかし、デスクトップ版へのリンクボタンをクリックしていくと元のページに戻ってしまう状態だった。「何かがおかしい。何となくそんな気がした」とエンドレスエイトキョンの心境になった(たとえが古すぎか)。ダウンロードできない。ダウンロードのためのリンクボタンが見当たらなかった。

 

 なにか Linux でトラブルが起こったときは英語で検索すると解決することが多い。"can't download ubuntu 23.10" のような適当な英語で検索すると OMG Ubuntu の記事が見つかり(先ほど見たら OMG Ubuntu の記事は私が見たときと内容が若干異なるようだ。おそらくダウンロードが復旧しためだろう)、Ubuntu 開発元による正式アナウンスにたどり着いた。

discourse.ubuntu.com

 私がそのときに見たのは "This post was updated on Oct 13, 2023 at 16:50 BST." の部分である。

A community contributor submitted offensive Ukrainian translations to a public, third party online service that we use to provide language support for the Ubuntu Desktop installer. Around three hours after the release of Ubuntu 23.10 this fact was brought to our attention and we immediately removed the affected images.

 

 "offensive Ukrainian translations" 「攻撃的なウクライナ語の翻訳」って何だよ!と思いつつ、リリースから3時間の内にそのなにかマズイ翻訳を含んだダウンロード・イメージは除去されたのね。それじゃ、修正されるまで待つしかないか…ということでその日はダウンロードを諦めたのだった。

 

 私はその後しばらく気がつかなかったのだが、そのうちにダウンロードは再開したようだ。私もダウンロードして、私のPCにインストールされた Ubuntu もアップグレードできた。(ダウンロードファイルは Ubuntu 23.10.1 と通常は長期サポートのポイントリリースに付ける .1 が付加されていた。ビックリである。)


 我が家のPCも Ubuntu 23.10 に無事アップグレードできたあとにウェブ検索していたら以下の記事をみつけたのだった。

www.bleepingcomputer.com

 「攻撃的なウクライナ語の翻訳」の部分についてのリンクも掲載されていた。

github.comコメントを読むと非常に下品な、言うなれば便所の落書きのような言葉が挿入されていたようだ。

 

 上の記事中や Ubuntu の開発チームはもちろん指摘をしていないが、これは明らかにウクライナ戦争の影響だろう。そしてロシア系あるいはロシアを支持する人物や団体による仕業ではないかと私は思う。
 ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めたとき、まさか自分が愛用する Linux で今回のようなトラブルが発生するとは夢にも思わなかった。戦争の影響(そう断言して間違いはないだろう)の大きさを改めて実感した。

 

 最後の BLEEPING COMPUTER の記事にはひどい翻訳が紛れ込んでしまっているのだからマルウェアが紛れ込む可能性は本当になかったのか、などの疑問が呈されているようだ。また英語以外のベータテストが十分に行われていたのかという疑問も X(旧Twitter)で書かれていたようなことが紹介されている。これはUbuntuの開発母体である Canonical への批判の言葉なのだろうが、非英語である日本語を話す私にもちょっと気になる発言だ。

 私は Ubuntu を使い始めたときは手持ちのノートPCにベータ版をインストールして動作確認の結果を Ubuntu のフォーラムに報告したりしていた。最近は Ubuntu のリリースもすっかり安定してきたので、そのようなことはしてこなかったが、次期バージョンの Ubuntu 24.04 ではベータ版から実機にインストールして動作確認してみようかなと思ったのであった。

【追記】

 この件に関して Ubuntu Japanese Team の吉田史さんが詳細な記事を書かれてた。

gihyo.jp

この問題はあくまでインストーラーの表示上の問題で、問題のあるイメージを利用することそのものにはヘイトスピーチを目にしてしまうということを除き)セキュリティ上の問題はありません。また、この種の混入を防ぐためのセーフガードの仕組みが別途検討されています。

なるほど。まずはひと安心である。

運転免許返納で認知症発症のリスクが高まる可能性がある

とは言っても、だから運転免許返納はすべきではない、なんていう気はさらさらない。

免許返納を決めた高齢者の皆さんには敬意を表する。やはり、東毛袋自動車暴走死傷事故を例に挙げるまでもないが、高齢者の運転による事故を減少させるには運転免許返納が有効な手段だと思う。

 

しかし調べてみだが、国立長寿医療研究センターによる「運転中止による弊害 ~運転を中止すると、要介護状態や認知症発症のリスクを高める~」というページがある。

www.ncgg.go.jp

 

せっかく国立の研究機関が注意喚起をしているのに、あまり世間一般に知られていない気はする。免許返納にブレーキをかけるような内容でもあるから、当然と言えば当然か。

 

私が言いたいのは自動車運転がおぼつかなくなった方が自動車運転免許を返納して万事解決、というわけではない、ということだ。むしろ認知症との戦いのスタートラインかもしれないということを、是非高齢者がいらっしゃる家族の皆さんには知っておいてもらいたいということだ。私自身も、いつかそういう日を迎える可能性は十分にある。私も自覚していきたいと考えている。

 

なぜ突然タイトルのようなことに関して私がブログを書こうと思ったか、そういう事例ではないかと思われる方が身近にいるからだ。近所に住む70代の女性が最近、自動車運転免許を返納した。突然、といっても良い。まったく自動車運転に支障はない、活発なむしろ頭の回転の早そうな方だったのだ。ところが半年くらい前に免許を返納してから彼女の行動が明らかに変わってきた。同じ話や同じ質問を何回もする、他人の名前を忘れる、あまり笑わなくなった、以前はほとんど怒らなかったのが怒ることがたびたびあるようになった、等々である。私だけがそう思っているのではなく彼女をよく知る人はみな、口をそろえて最近変じゃないかと心配するようになってきている。

私が住んでいるのは関東平野の北部、田園が広がるはっきりいって田舎なのだが、自動車がないとかなり不便な地域である。最寄りのゴミ捨て場までも100m以上はある。近所のスーパーも自転車で10分以上で途中、鉄道の跨線橋を越えなければならない不便な土地だ。しかも彼女は一人暮らしなのである。配偶者の方はもうおらず、お子さんもいらっしゃるが、みな東京かその周辺の都会に住んでいる。

 

そんな彼女がなぜ突然に運転免許を返納したのか。彼女自身が「田舎の年寄りが交通事故でも起こすと子どもの出世に差し障るからね。子どもから勧められて返納することにしたんだ」と語っている。おそらく本当のことだろう。遠くの都会に住む子どもから言われて返納したに違いない。ちなみにお子さんのひとりはかつて桜田門のそばに勤務されていた(今は転勤して少し離れているようだが)。

 

それにしても、まったく毎日の運転に支障はなかったのに、むごいことをするものだなと感じてはいるのだが、赤の他人の私がとやかく言えることではないし、せめてこのブログタイトルのことはもう少し広まってほしいものだなと思っている日々だ。

 

しつこく繰り返すが高齢者が運転免許を返納してすべてが終わりではない、むしろ認知症との戦いの始まりかもしれないのだ。

 

川端康成の『名人』における偶然の一致について

ここのところ毎朝午前3時に起きて農作業をしている。(今はトウモロコシを出荷しているのだが農協との契約で朝採りしないといけない。早朝に始めないと出荷時間に間に合わない😥)そのせいでTV番組を録画してみるクセがついてしまっている。1年以上、未視聴の録画番組もあるくらいだ。ところで今日たまたま録画して見ることができたEテレの「囲碁フォーカス」で、今はプロ棋士を引退されている大竹英雄名誉碁聖が、川端康成の『名人』に登場する引退する最後の世襲制名人秀哉の対戦相手が作中で「大竹」だったことに非常に驚いたという話を大竹先生自身が語っておられた。いち囲碁ファンとして私には非常に興味深いものであった。
実在した最後の世襲制名人、本因坊秀哉の引退碁は1年をかけて行われ、その対戦相手はかつての「怪童丸」こと木谷實だった。川端康成はその引退試合を観戦し、その実体験を元に『名人』を書いたのだった。登場人物はほとんど実名だったが、対戦相手だけは木谷のことを気にされてか、仮名の「大竹」としたのだった。

実は大竹名誉碁聖はその木谷門下で最初にタイトル保持者となる将来有望の棋士だった。私は今まで、それを意識して対戦相手名を木谷の一番弟子といってもよい「大竹」にしたのかと思っていたのだが、『名人』が執筆されたのは大竹が木谷道場に入門する前のことだったのだった。木谷實の門下に大竹なんて方はいない頃に作中の仮名を「大竹」に設定していたのだった!なんという偶然の一致!!
 入門した当時の大竹少年が、木谷先生のところの本棚に川端の『名人』があり、何気なく手に取って読み始めたら作中の本因坊秀哉の対戦相手が(実際は師匠の木谷先生なのに)自分と同姓だったら、そりゃビックリするよね、と思ったのでした。
 
本当に面白い話なんだけど、ネットでは囲碁の話題って注目されることはないんだろうね😥
今の日本の囲碁界もタイトルを独占していたスーパースターの井山裕太さんを若手が徐々に打ち破ってきて、将棋界に負けず劣らず面白いのだけどね。井山さんから棋聖位を奪取した一力遼さんなんて囲碁棋士にして現役の新聞記者という非常にユニークな逸材なんだけどな。

それはそうと、また川端康成の『名人』を読み返してみようかと思ったのでした。