田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

水木しげる先生

 最近、水木しげる先生あるいはゲゲゲの鬼太郎に関する記事を目にした。

http://chuspo.chunichi.co.jp/00/hou/20070318/spon____hou_____005.shtml
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/944751.html

 前者は境港市(水木先生の出身地)の観光協会が主催した「第1回妖怪人気投票」の結果についての記事であり、後者は痛いニュースのまとめサイトで見たのだが、この4月からフジテレビ系列で始まるゲゲゲの鬼太郎の作画に異論が出ているとのことであった。

 一反木綿が人気投票で一位になったのは私にとって全く予想外のことだが、3位に水木先生自身が入られたのは喜ばしいw 水木先生は本当に「妖怪」である。
 また人気漫画のアニメ画が原作とずれてくるのはある意味、仕方がないことかもしれない。サザエさんしかり、ドラえもんしかりである。作品の寿命が時代の流れを越えた証拠だろう。

 実は私は水木まんがにはいろいろと思い出がある。私の実家の近所にM君という、それは利発で早熟な友人がいた。彼は水木しげるファンクラブ会員を自称していた。*1もう30年以上前のことだ。

 ファンの間ではよく知られていることだが、水木先生は傷痍軍人である。ラバウル周辺の南方諸島のジャングルで戦い、奇跡的に命が助かったものの左手を失った。初期の水木作品には点描や濃密な作画のシーンが出てくるが、片腕であれを描いたと想像すると非常に胸を打たれるものがある。

 水木先生といえば妖怪ものが定番だが、実は戦争を題材としたものや奇譚ものも多い。私は、大変な目にあっただろうが、この戦争体験なくしてはその後の水木作品はなかったのだな…とも思う。
 以前インタビューで先生は女性を描くのが苦手とおっしゃられていたことがあったが、題名は失念したのだが先生の作品に、兄(恋人だったか?)の戦地からの帰還を待つ女性のもとにジャングルから種が飛来して花が咲くといったものがあったと思う。なかなか女性が綺麗に、はかなく描写されている、と子供ながらに感じた記憶がある。

 Wikipediaを見ると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B
 やはり水木先生は戦後の日本のマンガ史に大きな足跡を残す天才なのだな、と改めて思う。それから手塚治虫先生との確執も多少あったということにも気づく。私はこのことは全然知らなかった。


 思えば私は水木漫画を見て大きくなったようなものだ(全部M君のを借りて読んで、自分では買ってないのだが)。ゲゲゲの鬼太郎は言うに及ばず、悪魔くん河童の三平も大好きだった。いずれもテレビで実写化されているが、原作のストーリーはテレビのそれとちょっと違う。いずれも悲しい結末である。


 この週末は久しぶりに水木作品を探して読んでみよう。ちなみに下記のようなニュースも見かけた。
http://www.nnn.co.jp/news/070324/20070324003.html

 鳥取県境港市出身の漫画家、水木しげるさんが描く妖怪のブロンズ像が並ぶ「水木しげるロード」の振興に役立ててほしいと、水木プロダクション(東京都)は二十二日、同市に二千万円を寄付した。

 水木先生は本当に郷土を愛しているのだな、と思う。

*1:補足:実際に会報を見せてもらったことがある。本当に会員だった。