田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

英語教育について

 私は仕事柄海外出張などありえない職種なのだが、同僚にニュージーランドの方がいる。
 私はおそらく彼から信頼されている者のひとりなのだが、彼自身いろいろと不満を感じているようで、雑談のついでに「これを読め」とウェブからダウンロードされた文書(英文)を渡された。(やれやれ)

 ところで、小学校では英語を勉強させるようになりつつある。うちの息子・娘たちもそのうち習うことになる。ニュージーランド人の相談を受けながら思ったのだが、私は基本的に小学校で英語を教えることには反対である。

 理由は大きく二つある。

 私が就職した頃、いろいろな先輩方にお世話になったのだが、その中に満州(!)生まれの方がいた。父親が土木店を経営していて需要をあてこんでハルビンに移住したそうである。仕事柄、父親は旧日本軍関係者とも交流があり。いよいよ戦局が厳しいとの情報を得て早めに帰朝されたそうである。その先輩は、よく「一歩間違えれば、おれも残留孤児だったんだよ」とおっしゃっていた。
 ところでその方は小さい頃、近所の現地の子供たちと遊んだそうである。そう、中国語がペラペラだったのだ。帰国して戦後いろいろと苦労しながら職を得て、私が仕事に慣れた頃に引退なさったのだが、「でも帰ってきてしばらくしたら中国語が全然しゃべれなくなっちゃったんだよ」とも言っておられた。

 この例が示すように幼少期はたしかに言語獲得能力が高い。しかし使わなければ急速に失われる。現在の日本は、当たり前だが日本語だけで生活できる。日常的に英語を使う場面がほとんどない。公立の小学校で全員に英語を教えることは砂上の楼閣を築くのと同じ、と私は考えるのだが、いかがだろう。


 第二は、小学生の親ならば誰でも思うことだろうが、現在は土曜日が休みである。親の世代よりも学習内容が少ない(よく三割減と言われる)。こんな状況で英語教育を実施するなんて…まったく馬鹿げている。
 ちなみに英語は大体「総合的な学習の時間」に実施される。中山前文科相ではないが、総合的な学習の時間も早く止めて、普通の国語や算数を、そしてできれば理科や社会もじっくり教えたほうが良い。

 英語教育は経済的に余裕のある家庭が放課後にでも勝手に習えば良い。公教育の場で全員に教える必要はない。


 最後に少し自慢を(^^; 私は海外出張などない職種であるが、NOVAのCMに出演できるくらいの会話力はあると自負している。たまに「どちらで英会話を習ったのですか」と聞かれるのだが大概「高校です」と答えるようにしている。実際そうだからである。

 自分でもどうしてしゃべれるようになったのか不思議なのだが、以下のことが良かったのかもしれない。

 まずは受験で英語が得意(というか好き)だった。でも大学卒業時は全然しゃべれなかったのだが、たまたま配属されたところは外国籍の方がいる部署であった。私は仕事では英語を使わないのだが、好奇心からなるべく彼らに話かけるようにした。

 それから私の友人で米国で働いている者がいた。彼を訪ねて米国東海岸を2回ほど旅をしたのだが、旅行中、足に怪我をしてしまった。このとき必死になって傷薬を探したのだが(もちろん処方箋のいらない簡単な外傷消毒薬である)、自分ではこの頃から自然と英語が口に出るようになった気がする。人間、何事も必死になればある程度はできるものだ、と実感している。


 以前、職場の先輩(この方は通訳の経験がある方)から「日本人の英語力を上げる効果的な方法がある」と言われたことがある。それは何かと訪ねると「英語を公用語にすること」であった。このことは戦後たびたび話題になっているらしい。

 小学校で英語を教えるより、まず役所の文書を英語併記にしてみたらどうだろう。…しまった。それでは私の部署も影響を受けてしまう。

 やっぱり日本語が一番である。