田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

なぜ日本人の私はとりあえず英語をしゃべれるのか

何で日本人なのに英語がしゃべれるの? | 31o5.com
に触発されて書いてみる。ほとんど同工異曲かも。


 幸か不幸か私は週に2日くらいは職場で英語のネイティブ・スピーカと話す機会がある。本当は私に直接は関係ない部署の方なのだが積極的に英語で話しかけるようにしている。同僚から「よく英語で話せますね」と言われることがある。自分でもどうしてかな、と自問してみた。

中学や高校の英語力で十分

 私は取りあえず英語で意思疎通ができるのだが、それほど英語の力があるわけではない。例えば、私はカー・ラジオで洋楽中心のJ-waveを好んで聞いているのだが、洋楽を聞いていても単語がいくつか聞き分けられるのだが歌詞全体として何を歌っているのかまでは理解できない。その程度の英語力だ。

 私は本格的に英会話を習ったことはない。よく「どこで英語を習ったんですか?」と聞かれるのだが、きまって「中学と高校です」と答えるようにしている。本当は大学の教養部でも英語の講座はあったのだが、私の英語力はほとんど中学と高校で養われたものだ。

 逆に言えば、ほとんどの方が高校を卒業している現在、日本人が英語をしゃべれて何の不思議はない。しかし現実には英語をしゃべる日本人はそれほど多くない。何が違うのだろう。

正しくない英語でも意思疎通はできる

 正直言って、私のしゃべる英語はいつも文法的に正しいわけではない。単語だって間違って使うこともある。しかしそれも気にせず話している。なぜかというと意味が通じていないときは相手の表情などでわかるからだ。そういうときは別の表現でしゃべってみる。どうしても単語などがわからないときは "What do you say if... ?"などと聞いてみる。逆に相手の言うことがわからないときは "What do you mean by... ?" などと聞くこともある。

 言語学者でアイヌ語の研究家でもあった金田一京介先生が「これは何?」と聞いて単語を増やしていったという話は有名である。

金田一京助 - Wikipedia

金田一がアイヌ語の研究を始めた頃は、言語学の聞き取り調査では最も重要な言葉の一つである「これは何?」ですら何と言うのかよく分らない有様だった。そこで金田一は思案の末、訳の分からない絵を描いた紙をアイヌ人に見せ、その反応から「何?」という言葉を聞き出すことに成功。ここから膨大なアイヌ語の単語を一つひとつ聞き取り調査で記録するという地道な事業がスタートした。

 

 英語で英語の表現などについて聞くことができれば、意思疎通の範囲が格段に広がる。


 ちなみに最初から私もズケズケと質問できたわけではない。きっかけは初めての海外旅行のことであった。ニューヨークのマンハッタンでハンバーガー屋に立ち寄ったとき、全然私の英語が通じなかった。後で知ったのだがスペイン語をしゃべる人が店番をしていたのだった。英語がよくしゃべれない人もマンハッタンで店番をしている!と気づいたとき、英語を正しくしゃべらなければ、という呪縛から解かれた気がした。


 よく言われることだが、大体の日本人は中学、高校の6年間くらい英語を勉強している。それでも英語を話す人が少ない、というのは世界的にみても珍しい。その理由の一つは定期的に行われる筆記試験にもあるような気がする。正しい英語をしゃべらなければいけない、というプレッシャーが英語をしゃべることへのハードルを上げているのではないか。最近の英語教育はいろいろと改善されていきているのだと思うが、やはり筆記中心の試験を重要視しているかぎり、なかなか英語をしゃべれるようにならないのではないだろうか。

英語と日本語は音節が違う

 日本人が英語をなかなかしゃべらない理由のもう一つは発音が難しいというか、うまく発音できないというコンプレックスがあるからではないか、とも思う。

 自慢だがw 私はよく発音がうまいと褒められる。先ほど中学と高校でしか英語を勉強しなかったと言ったが、NHKのラジオ講座はよく聞いた。個人的にはこれがよかったと思っている。


 私が学生の頃、タモリこと森田一義さんが芸能界デビューしたばかりであった。今でこそ穏健な、人あたりのよい芸能界の重鎮タモリさんであるが、当時は主にテレビの深夜の枠で、危ない芸をいろいろと披露していた。なかでもタモリさん一人の話芸でみせる多国籍麻雀の話が私は大好きだった。タモリさん一流のデタラメの外国語でいろいろな国の人が雀卓を囲っている様子を見せるのだが、デタラメなのだが本当にいろいろな国の人が言い争っているように見えるという芸だった。私自身いろいろとデタラメ外国語に挑戦してみたこともあったのだが、耳から聞いた音を意味も分からずただ真似てみる、というのをよく繰り替えしていた。個人的にはこれが後の語学学習に役立ったのではないか、と本気で思っている。

 耳で聞いた音をとりあえず先入観を持たずに真似してみる、というのが語学学習では重要なのではないか。


 昔テレビで、伴淳三郎さんだと思うがこういうギャグを演じていた。日本人の若者が外国人(たしかアメリカ人)の客を椅子に座らせようとするのだが「シット・ダウン・プリーズ」と言っても通じなかった。そこに伴淳さんが登場して「こういう時はな、こういうんだ、しらんぷり!」そういうとたちまちお客が座る、というものだった。後で考えたのだが、これには音節(syllable)が影響していると思う。音節とは発音の際の塊(かたまり)である。日本語で「シット・ダウン・プリーズ」というとシ・ッ・ト・ダ・ウ・ン・プ・リ・イー・ズ と10音節になるが、英語ならば Sit down please と3音節である。し・ら・ん・ぷ・りは5音節であるが、「らん」と「ぷり」を続けて1音節のように発音すればかなり原音に近い。

 日本人の場合は音節、音の塊を日本語のように発音しようとするのでネイティブ・スピーカーにとって聞きづらいのではないだろうか。

 一度、インド人の方が Thank you を「タンキュー」のように"th"を完全に"t"として発音されているのを聞いたことがあった。私は最初よくわからなかったのだが、他の英語がわかる人は特に混乱はなかったようだ。英語の発音が聞き取りすらいか聞き取りやすいかの評価が日本人のそれと英語を母語としてしゃべる方ではかなり違うのだろうな、とも思った。昔、NHKの「ラジオ英語会話」の講師だった東後勝明先生は音節を強調するのに□□□…のように□をならべて示していた。音を塊として発音する、ということも日本人が苦手とするところではないだろうか。

 なお、米国滞在中、私は発音を直されたことがあった。アクセントの位置が違うということだった。英語は日本語の音の高低によるアクセントと違って音の強弱によるアクセントだと聞いたことがあるのだが、アクセントの位置を正しくするというのは、文法的に正しいか正しくないかよりも、重要視されることもあるようだ。

一番重要なのは「使うこと」

 以前この日記にも書いたことがあったのだが、私が就職した頃、職場の大先輩に旧満州で生まれ育った方がいた。現地の子どもと中国語でよく遊んだそうだが、戦後日本へ引き上げてきて忙しく働いているうちに、すっかり中国語を忘れてしまったそうである。やはり語学力の定着には日常的に使うことが重要だと思う。

 私も拙い海外旅行の経験で多少なりとも英語力は上がったと思うが、やはり毎週のように英語で同僚に話しかけることが、普通に英語で話せるようになったことに大きく寄与していると思う。

 しかし、私のようにネイティブ・スピーカに話す機会がない方も多いと思う。

 話すこととは違うのだが、読んだり書いたりすることはインターネットを使えば簡単にできる。例えば、今、注目されているTwitterなどで英語でつぶやいてみてはどうだろう。Twitterのパブリック・タイム・ラインで英語を使う人をフォローしてみてはどうだろう。工夫次第で英語を使う機会は増やすことはできると思う。


 最後に、私にとって90年代に米国東海岸を一人旅した経験が大きかったとは思う。ワシントンD.C.の近くで研究生活を送るGさんを訪ねる旅だった。旅行の機会を与えてくれたGさんには本当に感謝している。メールで失礼なことを書いてしまって音信不通になってしまったのだが、今でもGさんには感謝している。感謝してもし尽せないと常々思っている。ここに改めて感謝の意を表する。