田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

自転車で忠度の墓へ

 今週末、土曜日は娘の幼稚園の運動会、日曜日は地域の体育祭であった。土曜日はよく晴れたので娘の運動会のあと、自転車で深谷市街へ出てみた。

 現在私の住所は深谷市で、同じ深谷市の中心街へ行ったのだが、市は合併で広大になっているので、家から街まではかなり遠い。まったく隣町へ行く感覚だ。坂道もあって結構くたびれた。高校時代に通学に自転車を使っていた頃を思い出した。坂道を自転車で行き来するのは結構大変である。また自分の体重がかなり重くなったことを実感したw

 しかし気持ちの良い汗がかけた。はてなの社長が自転車にハマっているのもわかる気がする。


 帰路の坂の途中、深谷市の清心寺に立ち寄る。平忠度(たいらのただのり)の墓を見るためだ。私は深谷で生まれ育ったのだが、忠度公の墓を見るのはこれが初めてだ。

 清心寺は線路沿いにあり、電車からは見やすいが車では行きづらい場所にある。細い路地も自転車なら簡単に行ける。多少道に迷いながらなんとか辿り着いた。山門をくぐるとすぐに母屋がある。私宅にオジャマするような感じだった。門から入って左手にその墓はあった。

 平忠度公は歌も武術も達者な方であったそうだ。私は現在、旧岡部町に住んでいるのだが、郷土の英雄(?)岡部六弥太忠澄(おかべろくやたただすみ)は田舎武士であったが、このお方を討ち取ったことにより有名になった。

 以前、六弥太は忠度の「遺髪」をこの深谷の見晴らしの良い場所に供養した、とどこかで読んだ気がするのだが、お墓のそばの説明には「遺髪」とは書いてなかったような気がする。たしか、平忠度の墓は京都あたりにあったと思ったのだが。…今度また調べてみよう。


 私は能、狂言あるいは謡などは全然わからないのだが、この忠度が討たれる逸話というのはそういうものの題材になっているらしい。

 岡部六弥太は平忠度を討つのだが、六弥太は部下の助太刀の下、忠度を討つ。…というか観念した忠度に討たせてもらう。その討ちかたを恥じて神奈川県葉山町あたりで自害してしまうというのだが…。


 私は旧岡部町に住むようになり町内の六弥太の墓には参った。いつかは岡部六弥太の自害したと言われる地を訪れてみたいと思うのだが、今まで出かけようとするたびに、ちょっとしたことが起こり、今まで一度も訪問できていない。私はこれを勝手に「六弥太の呪い」と称しているのだが、忠度公の墓参りをした今、今度こそ葉山町に行けそうな気がする。