田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

車種を大切にしない国産メーカー

 明日から東京モーターショーが開催されるようである。私も独身の頃はよく行った時期があったが、今はほとんど出かけない。今回も行かないだろう。

 あるときから同じようなことの繰り返しだな、と思うようになり急にバカバカしくなってしまった。クルマは所詮クルマ。収入が増えないのに大金をつぎ込む気にもなれない。

 とは言っても私は最近まではクルマに非常に興味を持っていたわけだがww、輸入車を所有して思ったことは、どうして日本の車メーカーは車種を簡単に改変したりなくしたりするのか、ということだ。今でこそ私はトヨタが嫌いだがww セリカは好きだった。ソアラも大好きだった。うまく育てれば欧州ブランドにも対抗できるくらいのブランドイメージはできたのではなかったか。


 国産メーカーはモデルを短期間に変えるという戦略で伸びてきた。市場時代が拡大するときはそれでも良いが、市場が成熟してくると新モデルを次々に投入するという手法には限界がある。(素人の私が言う前にそんなのは常識だろうが)国産メーカーはラインナップが多すぎる。その結果、統一性がなくなり逆にどのメーカーも同じに見えてしまう。国産メーカーには「顔」がない。

 その点欧州メーカーなどは全くの正反対である。一目でどのメーカーのクルマかがはっきりと分かる。フロントグリルもメーカーによって特徴があり、本当に「顔」がわかる。車種も少なくすっきりしている。私が愛用していたプジョーなどは3桁の数字の、そのいくつかの組み合わせですべての車種が表せる(多少の例外もあるが)。


 クラッシックカーのレースというとほとんど国産車を見かけないのも寂しい限りだ。私はたまに通勤途中で初代のシビックを見かける。オレンジ色の、今となっては軽自動車なみの大きさの車体を見ると感動すら覚えるのだが、おそらくオーナーは車体を維持するのに苦労なさっているのだろう。クルマ道楽の王道を走ってらっしゃる。
 旧型モデルの部品の寿命を伸ばして旧モデルも大切にするというのも一つの戦略だと思うが、どうだろう。効率優先の国内メーカーでは難しいかもしれないが、長い目で見てブランドイメージの向上に繋がると思うが。


 わが BMW R100GS は「西ドイツ」製だがいまだに部品が手に入る。大したものだ。ただし新しく作り直しているらしく単価は安くないが。ファンというのはそうまでしても愛車に乗り続けたいものだ。そこらへんの感情を国産メーカーはわかってないのではないだろうか。

20年後の日本の農業

 結婚して子どもができ、稼ぎが十分でないので専業農家であるカミさんの実家に転がり込んだワシなのだが、まわりが田畑なので自然と今の農業の現状に興味がある。言いたいことはあるのだが頭が悪いので大したことは浮かばない。ただ、ヒトサマの記事を読み、「そうだよな」とか「これはちょっと…」と思っている。今の私の考えとしては以下の記事の意見に近い。

 暴論・「食えない農業」ならやめたらどうよ? - すなふきんの雑感日記


 しかし日本が農業から撤退する日も本当に近づいているのではないだろうか。何しろ農業従事者の平均年齢は60歳を越えているそうだから。20年後、失礼ながら現在農業を営んでいる人のほとんどが鬼籍に入られた後、日本の農業がどうなっているか、ある意味楽しみである。

 20年後、やはり農家の長男が土地を耕作しているのだろうか。そうなっている確率は低くないとは思うが、土地を借りて大規模に営農している者、組織あるいは「会社」が増えていることに期待したい。
 それにしても先祖伝来の土地を他人に貸すというのはなかなかできにくいだろう。

 本当に先祖伝来の土地なのか?とも。戦後、農地開放が行われなかったら今頃どうなっていただろう、と思うことがある。