田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

幡羅遺跡をを見てきた

 地元の埼玉工業大学で勉強会「埼北マイコン同好会」に参加し、午後深谷旧市街の実家で用事をすまし、多少時間があったので深谷市立図書館に立ち寄った。たまたま入り口の幡羅遺跡に関する展示ポスターが目に止まったので展示室に入ってみた。

 私は幡羅(はたら)中学校出身なのだが、幡羅(はら)遺跡のことは以前から耳にしたことがあった。いわゆる奈良時代、今の埼玉県北部にあった大きな役所であったと聞いたことがあった。

 実は私が小学生のころ、友達と畑のそばの空き地を掘って土師器のかけらを拾ったことがあった。おそらくそのあたりが幡羅遺跡なのだと思ったのだが、展示を見て正確にその場所が特定できた。(私が破片を拾った場所はそこではなかった。しかしそれほど遠くない場所であった。)

 雪混じりの荒天であったが、私は早速その遺跡の場所に行ってみた。



大きな地図で見る

 熊谷市西別府の南西に広がる畑一帯が幡羅遺跡である。幡羅郡の正倉院や実務官衙域が広がっていたそうである。
詳細は深谷市が作成したウェブサイトをご覧いただきたい。

幡羅遺跡へようこそ


 湯殿神社の北側の西別府祭祀遺跡と言われる遺構の写真を撮ってみた。


 湯殿神社から西南方向、正倉院があったあたりは以下のようである。


 私は図書館展示室で『律令時代の郡役所』という深谷市教育委員会作成の冊子をいただいたのだが、フルカラー 38ページの立派なパンフレットである。たまたま入った図書館で良い展示に出会えたとうれしく思った。


 かなり大規模な遺跡のようだが、そのほとんどが畑に埋もれている。遺跡調査が2000年前後に行われたそうであったが、遺跡調査で土を掘り返すと作物がよく実るようになるとの噂が出て地元の農家が協力的であった、と展示室のボランティアさんから聞いた。それがせめてもの救いか。ちょうど現在の区分けでは深谷市熊谷市にまたがっていることも遺跡の保存事業を難しくしている一因ではないか、との話も耳にした。真偽のほどはわからないがありえない話ではないとも思う。

 畿内の大和政権との紐帯を示す北関東の広大な郡役所跡は、このまま畑の土の下に眠っていたほうが良いのかもしれない。