先週末はいろいろと用事があった上に親戚に不幸があったので、すっかり多忙であった。相変わらず週末の散歩をしているのだが、下手な写真を撮りためている。
散歩をしながら写真を撮っていて思ったことなど
- 毎度同じ道を歩いていて、そろそろネタが尽きるかと思っているのだが、毎回新たな発見がある。
- カメラを持ちながらだと歩くペースが落ちる。逆に疲労感が軽減する感じがする。
- 今回は動かない被写体だが、動かないものでもそれなりに撮るのはむずかしい。
- この日は蝉の声を聞かなかった。最近は鳴いていない。季節は確実に変わっている。
こんなところか。
散歩道の途中に石でできた塚がある。ちょっと気になったので撮ってみた。
二つ並んでいるのだが、一つには庚申と大書してある。いわゆる庚申塚だろう。
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。
庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習である。
お不動さまかなと思ったのだが、隣にあるのは「青面金剛」という仏様のようだ。
庚申は「かのえさる」ということで猿と結びつけて猿田彦を祀る場合があるらしい。それから「見ざる、言わさる、聞かさる」の三猿がモチーフに選ばれることもあるようだ。この石仏にも三猿があった。日光の東照宮のものとは並んでいる順が違う。何か法則があるのだろうか。
この青面金剛の像をよくみると足元に何かがいる。よく仏像は邪鬼を踏みつけているそうだが、その類だろう。庚申塚なので三尸かもしれない。形からすると下尸かも。
三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいる虫。三虫(さんちゅう)ともいう。
上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしている。大きさはどれも2寸で、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。
60日に一度の庚申の日に眠ると三尸が体から抜け出し、天帝にその人間の罪悪を告げ、その人間の命を縮めるとされることから、庚申の夜は眠らずにすごすようになった。一人では夜を過ごすことは難しいことから、地域で庚申講とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待ちが行われるようになった。
よく見ると顔があり、撮影中に目と目があった気がした。非常に気持ち悪い。実はこの後、いろいろなことがあり、親戚から訃報連絡などが入ったりもしたのだが、こんなものを撮ったせいかもしれない、と週末が終わったあとに思いったりしている。