以下のサイトを読んで思い出したのだが、「人間」って元々は「人の間」ということで世の中とか世間の意味だったと聞く。どうして意味が変わっていったのだろう。
人の間、つまりは多くの人に共通して言えるようなことに言及するうちに現在使われているような、人間(にんげん)、人そのものを指すようになったのかな、と素人なりに想像できる。
そういえば、遥か昔、高校時代に国語の先生が「人間という言葉は世の中を指すときは『じんかん』、ヒトを指すときは『にんげん』と読む」と教えてくれたと記憶する。例えば、
人間 到る所 青山あり
の人間は「じんかん」と言うのだ、と。
ちなみに青山(せいざん)はお墓の意味であり、東京の青山にはお墓があるのだと先生はおっしゃったような気がする。実際は青山忠成のお屋敷があったことが地名の由来らしいのだが。それからこの言葉は幕末の僧侶釈月性の詩の一節で、どこでも死ねるので故郷を離れることを躊躇してはいけない、というような意味らしいのだが、そんなことは私の先生は一切触れなかったような気もする(笑)。
人間 万事塞翁が馬
私はこれを「にんげん ばんじさいおうがうま」と読んでいたのだが、正しくは「じんかん」と読むのだ、と説く方もいた。
『人間万事塞翁が馬』の読み方は、にんげんばんじさいおうがうま じんかんばんじ... - Yahoo!知恵袋
なるほど、「世の中」の意味では「じんかん」と読むのか、と納得したのだが、以下のような解説もある。
人間は、仏教語でサンスクリット語「mamusya」の漢訳。
(中略)
一般に「人」を表す場合には「にんげん」、「世の中」の意味で用いる場合は「じんかん」と読み分けられることが多いが、この読み分けに特別な意味はない。
「語源由来辞典」によると、読み分けに特別な意味はないそうである。つまりはどっちでも良いのか。
よくわからん。どっちでも良くなって徐々に意味が変わっていったのかもしれないな、と更にひとり納得してみた。