近所の写真を撮って Wikipedia にアップロードしている。昨日は埼玉県内のいつくつかの建物の写真を撮った。バイクで移動中、鳩山町内の笛吹峠入り口付近で「鎌倉街道(上道:かみつみち)の説明板が目に止まった。
私は以前この付近で仕事をしていたことがあったのでたまに通った道だ。しかし鬱蒼とした林を抜ける道でおそらく地元の者しか通らないような道だ。もし鎌倉幕府がもっと長続きしていたら、ひょっとしたらここが幹線道路になっていたかもしれないと思うと不思議な感じがする。
例によって Wikipedia の記事を探してみた。吾妻鏡ではここは下道と称される鎌倉から上州(今の群馬県)へ通じる道であったようだ。江戸時代に江戸から京に通じる上洛道(中山道)が近くを通っていたので地元の人が勘違いして下道を上道と呼ぶようになったのではないかと書かれている。たしかにあり得る話だ。その辺のくだりをこの案内板にも書いておいてくれたら、とも思った。
そういえば以下のページをこのブログで紹介していた。年月がたって読んでみると忘れていることも多い。また一から読み返さねば。
鎌倉街道の説明