私は深谷で生まれ育った。関東平野の北部で大きな山もなく、有名な観光地でもない。何の変哲もない田舎町である。しかし町の北側には利根川が流れ、県境がすぐ近くにあった。中学生の頃、たびたび自転車で利根川を越えて群馬県へ出かけた。もちろん異国でもなく同じ日本なのだが、何かがちょっと違う。何気ない道路標識も埼玉県のものと群馬県のそれとはちょっと違う。逆に類似点も多かった。例えば言葉づかい。方言はほとんど同じだと思う。
文化的に共通点は多くとも、やはり坂東太郎(利根川)で隔てられているので相違点も多い。深谷は旧中山道の宿場町であり、熊谷から秩父へ通じる「秩父往還」などという言葉も耳にしたことがあった。しかし日光例幣使街道(れいへいしかいどう)なんて全然耳にしたことがなかった。
足利の珈琲屋台アラジンへ通うようになり、オーナーのジローさんとツーリングをすることが数回あった。例幣使街道も何回か通ったことがある。そのときは変わった名前の道だなとしか思わなかった。
前項でも書いたように昨日は太田市のブルーライオンへ出かけた。車の整備中、時間があったので折り畳み式自転車を持っていき、太田市周辺を散策した。そこで日光例幤使街道に出くわしたのだった。簡単な説明掲示があり、そのとき初めて例幣使街道とは群馬県高崎市と栃木県鹿沼市を結ぶ街道だと気がついたのだ。それまで全然どこを通っている道かわからなかった。
日光例幤使街道(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E4%BE%8B%E5%B9%A3%E4%BD%BF%E8%A1%97%E9%81%93
以前にも書いたが、もうちょっと日本史(郷土史)を勉強したいものだ。