私は埼玉の農村部にあるカミさんの実家に住んでいる。義父母は専業農家で、サラリーマンである私の年収の数倍稼ぐ働き者である。そんな私も、この間のアルファブロガーたちの生産性をめぐる論議を面白く眺めていた。ただ単に眺め、ナナメ読みしていただけだ。どうも経済の話はよく理解できない。
しかし、へっぽこブロガーも書きたいことがあるので、的外れを気にせず書かせてもらう。分裂勘違い君劇場さんは、国際競争の不完全性が限界生産性に影響を及ぼすメカニズムを「湯加減問題」と例えている。(元々はd:id:REV氏が言い出した表現か)なんだかわかったような気がした。(本当に理解できたわけではないのかもしれないが)
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070219/1171851565
私は、個人的には今はお湯は熱いのだろうと思っている。つまり、限界生産性は社会全体の平均的な生産性によって決定する部分が今は結構あるのでは、と思ってしまうのだ。野菜の生産に関して日本の農家が置かれている現状などはその典型と感じるからだ。(すみません。感覚だけで具体的な数字はわかりません)
いや、農家にとっては現在の情勢は「さめつつある熱湯」なのかもしれない。
私のブログに何回か登場している職場のニュージーランド人のDさんは、数回私の家にお招きしたことがあり、カミさんのうちの稼業が農家であることを理解している。あるとき、「どうして日本は農産物を輸出しないのだ」と言われ、私の拙い英語で説明するのに四苦八苦したことがある。Dさんの生まれ故郷(ウェリントンの北東の海岸の町)では果樹栽培が盛んで海外にも輸出しているらしい。似たような田舎にある我が家を見て、どうして輸出しないのか素直に疑問に思ったらしい。
確か、日本の平均賃金や物価は周辺アジア諸国と比べ高く、その影響で日本の農産物には価格競争力がない、そのため輸出しないのだ、と説明したと思う。まさに「熱いお湯」の論法である。*1
日本の農業は一般的に言って生産性(生産効率)も高くない。少人数で比較的広くない耕地を耕作している。補助金なくては米作すらもままならない。(農業基本法の改正には生産性の向上も意図されていると聞くが、私はよく知らない)
この冬の野菜の大量破棄には暖冬のせいもあったのだが、近隣諸国(特に中国)からの野菜の輸入が常態化して、以前ほどの価格の高騰が見込まれない分、生産量を増大しようとする動きもその背景にあるのでは、と義父は言う。
その廃棄野菜であるが、農水省では2月15日に「野菜の緊急需給調整手法に関する検討委員会」なるものが開かれ、広く一般からもアイディアを募集しているようである。一部報道では野菜の長期保存の方法を検討してみては、との意見もあったとされたが、現役野菜生産農家の義父はそれには反対のようであった。
保存技術や施設にはそれなりの(税金からの)投資が必要であろうし、もしそれが可能になったときを想像してみれば良い。消費者にとっては価格が安値安定で良いだろうが、生産者のにとっては全く逆である。相場が良くなったら(高くなったら)保存野菜が放出されて価格が下がる。*2ますます野菜を作る人は国内にいなくなるのではないだろうか。
野菜価格が暴落すれば、赤字覚悟で出荷する農家はほとんどいないだろう。出荷しようと思ったところで運ぶ業者がいるだろうか。産地で野菜を廃棄するのは仕方のないことである。 …とは言いつつもやはり産地に住むわたし自身も矛盾に感じてしまう。何か有効な策はないのだろうか。
晩酌をともに、義父と話し合って廃棄野菜対策として出した結論は、「農家を教育する」ことであった。
冒頭にも述べたが、義父は農家としては安定した収入を得ている。身内に言うのは変だが、よく研究もしている。あまり手のうちを晒すと義父に怒られるかもしれないが、相場の動きを観察しているとある程度の波があるそうである。毎年この時期になると品薄になって価格が若干上昇するとか、それから生産品目をうまく組み合わせてなるべく価格の下落のリスクを回避するとか…。
そのためにはある程度生産力に余剰がないとダメだそうだ。結局は機械化して大規模化する、その上で生産品目や作付時期を工夫する…というありきたりのことになってしまうのかもしれない。
とにかく各々の農家が研究して、他人とは違う手法で工夫を重ねれば、出荷が重なって価格が暴落することも減ると思うのだが、楽観過ぎるだろうか。(ま、酒を組み交わしながらの話なので…)
お湯がさめないうちに日本の農家は何とかする必要があるだろう。農業だって捨てたものではない、と義父を見て思う。