浦和レッズがJ1優勝を果たした。一時はJ2に降格し、個人的には浦和はもやはこれまでとも思ったが、よく復活して優勝まで遂げた。埼玉県民として誇らしく思うし、関係者の皆様にはおめでとうと申し上げる。しかし、実のところ私はスポーツをほとんど見ない。これを機会に(遅ればせながら)もう少しサッカーの試合を見ていこうとも思う。
昨日、埼玉新聞の特集記事を目にした。埼玉新聞は地元のローカル紙であるが、埼玉県民は都内勤務の者が多いのでおそらく発行部数が少ないはずだ(失礼)。その埼玉新聞に(記憶で書いているので正確ではないが)、浦和が一丸となってサポートしたレッズ、一方西武ライオンズは「所沢」を表したが「埼玉」を名乗らなかった。埼玉に背を向け東京を向いていた、というようなくだりがある。
埼玉県民なら実感としてそう思うだろう。第一、西武線はほとんど新宿や池袋など都内へ向けて敷設されている。以前、バイト先で知り合った所沢の人と何回か会ったことがあったが、いつも池袋であった。お互いに都合が良い場所は都内しかなかった。西武に限らず埼玉の鉄道網、道路網は東京へ向いている。
バイクであちこち徘徊していると道路(街道)や鉄道は文化圏を形成するなと本当に思う。昨日書いた日光例幣使街道ではないが群馬と栃木の県境は東西方向に道路や鉄道が発達している。太田、桐生、足利、佐野周辺の物流も盛んなようだ。両毛地区という県を跨ぐ独特の文化圏を形成している。
ところで埼玉の北部を走ると、南々西方向に向かう、細いが長く続く街道が散見される。旧の鎌倉街道である。それらは一筋の決まったものではなく平行して何筋かある。もう少し鎌倉幕府が長続きしたならば現在の埼玉の道路網は全く違ったものになったであろう。
先週末は秩父夜祭であった。日曜日と重なり盛況な賑わいだったようである。秩父鉄道は秩父と行田・羽生を結ぶ。かつて忍藩(現行田市周辺)は秩父に領地を持っていたと聞く。
何気ない日常の風景は歴史と無縁では無い。