田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

二つの腰越

 前項にも書いたのだが先日、自宅から少し離れた埼玉県比企郡滑川町あたりをバイクでミニツーリングしていた。ところで私はかつて比企郡内に住んでいたことがある。そこ頃、地元で郷土史を研究されている方と知己になったのだが、その方がおっしゃるには鎌倉幕府成立時に隆盛を誇った比企氏については詳しくわかっていないのだそうだ。いわゆる比企能員の変以後、北条氏に徹底的に潰されてしまったため比企氏の居城であった「比企館」の所在さえわからなくなってしまったのだという。もちろん現在の埼玉県比企郡はその比企氏の所領と伝えられる所だ。

比企氏 - Wikipedia

 
 多くの人は知らないと思うが、実は比企郡内の地名と鎌倉周辺の地名には同じものがある。私が訪れた滑川もそう。滑川という川が鎌倉市にも流れている。ただし鎌倉のそれは「なめりかわ」、埼玉のは「なめがわ」と読み方が少し違う。また鎌倉市に腰越という地名がある。源義経の「腰越状」で有名な地だ。比企郡小川町にも腰越というところがある。

 私は両方の「腰越」をバイクツーリングで訪れたことがあるのだが、非常に驚いた経験がある。ややカーブした道が切り通しを通る風景があまりに似ているからだ。

 こちらが鎌倉市腰越の小動神社付近。

 こちらは埼玉県比企郡小川町腰越の切り通し付近。

 切り通しというものはどこにあっても同じようなものかもしれない。しかし偶然かどうかは知らないが同じ地名なのだ。何らかの関連性があると考える方が自然なのではないだろうか。ひょっとしたら比企氏にまつわる何者かが鎌倉の地名を懐かしんで比企の地にも付けたのかもしれない。

 というような話を別の好事家に話した所「いや、埼玉の腰越の名を鎌倉に付けた可能性だってあるぞ」と言われた。まさか…。でも完全にはこれまた否定できないかもしれない。いずれにしても記録がないというのは想像をかきたてるものだ。


 とにかくいつの日にか比企氏に関することが少しでも詳らかになることを期待してやまない。