田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

ヒルベルトの最期

 以下の記事を斜め読みした。誰も訳していない外電を和訳したものだ。

 はやしのブログ イギリス首相の、アラン・チューリングに対する公式謝罪文

 アラン・チューリングと言えば知る人ぞ知る高名な数学者である。私は名前しか存じ上げなかったが、Wikipediaで調べて何となく理解した。彼は不名誉な死を遂げていたのですね。


 数学者といえば、たしかダフィット・ヒルベルトもあまり幸福ではない死を遂げたと思う。今は見る影もないのだが、不詳私も数学科を卒業している。数学をかじった者であればヒルベルトの名を知らぬ者はいないだろう。「ヒルベルトの23の問題」はその後の数学に非常に大きな影響を与えたと聞く。


 ヒルベルトに関してちょっと調べてみたのだが、日本語版のWikipediaの記述は妙にあっさりしている。

 ダフィット・ヒルベルト - Wikipedia


 学生時代に読んだ本に、ヒルベルトはドイツ人で第二次世界大戦末期、友人だったユダヤ人学者が次々と亡命または粛正されるのにショックを受けて失意のうちに亡くなった、と書いてあった気がしたのだが、どうも定かではない。


 英語版のWikipediaを見ると何となくそれらしいことが伺える。

 David Hilbert - Wikipedia, the free encyclopedia

About a year later, he attended a banquet, and was seated next to the new Minister of Education, Bernhard Rust. Rust asked, "How is mathematics in Göttingen now that it has been freed of the Jewish influence?" Hilbert replied, "Mathematics in Göttingen? There is really none any more."


 そこで知ったのだが、ヒルベルトの墓碑銘は以下のようであるという。

Wir müssen wissen.
Wir werden wissen.

「我々は知らねばならない。我々は知るであろう。」
こんなところか。ヒルベルトらしいと言えばそうかもしれない。