田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、コメントは承認制にします。)

「農家切り捨て論」を巡る論争

 専業農家であるカミさんの実家に居候している身として一言いいたくなった。

  農家切り捨て論のウソ (ニュースを斬る):NBonline

  「農家切り捨て論のウソ」のウソ | bewaad institute@kasumigaseki


 私はモノグサ者の早とちりなのでお二方の主張をきちんと理解していない(あるいは読み落としている)かもしれないのだが、最初の日経ビジネスオンラインの神門先生のお話に基本的に共感を覚える。

 しかしうちは埼玉県北部にあり、そう頻繁に公共事業がないので、実感として公共事業を待ち望む農家というイメージがさほど湧かない。その意味で具体的な数字を挙げた、後者のbewaad氏の反論も、そうだよな、と思う部分はある。


 私はしばしば農業についてこの日記に書いている。しかし常に盲人が象に触るようなものだと思っている。私の農業に関する知識は義父の目を通したもので、埼玉県北部の事情に限定されものだ。それゆえ農業全体を語るのはおこがましくもあり、的を射てないかもしれない。その点を差し引いてもらいたいのだが、私としてはある農村地域に住む者の実感として、神門先生の言われることは日本の農業の実態を表していると思われるのだ。


 うちの義父はいわゆる大規模農家と言われる部類である。遠縁の者などにも頼って複数で耕作している。サラリーマンの私の年収の数倍の収入がある(経費や人件費がかかるので収入=利益ではないが)。端で見ていて非常によく工夫しているなと感心することが少なくない。近所に工場をリストラされた方がいた。農家の長男の方だったので仕方なしに農業に従事したが、義父のやり方を真似するうちに工場で働いていた以上の収入を上げるようになった。農業はやりようで本当にビジネスになると思う。


 bewaad氏は上記のページの中で数字を上げて農林水産業における労働生産性が上がってきていることを挙げている。私は、農業に関して言えば、従事者の高齢化が進み、私の義父のようにもう農業をやれる人がいなくなってしまったような土地を借りた者が大規模に耕作した結果ではないか、と思っている。


 義父はほとんど農業助成金には頼っていない。一部の農作物には生産に際して補助金が給付されるのだが、うちでは補助金の対象となるような作物は作っていない。義父は「補助金を頼るようになったら農家はおしまい」と常々言っている。おそらく自分に言い聞かせているのだと思う。補助金に頼ったほうが楽に違いない。しかしそれをした途端、思考停止に陥ってしまうのだろう。耕作方法の改良や品種の研究をやらなくなってしまう。農業普及所に言われたとおりに作ればそこそこの収入がある。例えは悪いとは思うが、農家への補助金は治療の難しい病の痛みを忘れされる麻薬のようなものかもしれない。どのみち根本的解決には繋がらないと思う。


 一方、神門先生は外国人労働者導入の可能性にも触れている。義父は複数の人の助けに頼っている。ある年、近くの大学の学生をバイトに雇ったこともあったそうだが午前3時半から始まる作業に皆やめてしまったそうだ。そんな経験をした義父でも「外国人は絶対雇わない」と言っている。リスクが大きすぎるからだ。外国人への偏見に基づく誤解もあるかもしれないが、私も義父に賛成である。外国人労働者の導入の問題は他の業界を見れば一目瞭然である。


 農業はやりようで利潤を生み出すと思う。ただし当然のことながら大規模農家への耕作地の集約や機械化を伴う。それから不断の研究、消費者が何を望んでいるのか、を考えてること。そう言ってはおこがましいが、近所の零細農家はこれを忘れている。(というか考える余裕がないのかもしれない)


 それから二つの記事には触れられていないのだが、「農協の改革」も不可欠だと思う。私は義父の話を聞くにつれて農協は国連のようなものだと思っている。池田先生の下記の記事を読んで改めてそれを強く思った。  
  国連という神話

 農協組織でも、農家一軒一軒に平等に発言権がある。大口農家の意見も小規模農家につぶされてしまうと義父は嘆く。義父は来年、市場と契約して農協を通さずに出荷することを計画している。義父のような大規模出荷農家が農協を見限ったらどうなることか…。

 農協も一度つぶれたほうが良いのではないか。