田舎者Yの日記

片田舎の元バイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、しばらくコメントは承認制にします。)

Facebookの友が亡くなった

  もうひと月くらい前のことになるが Facebook の友が亡くなった。私にとっては SNS で知り合った人が亡くなったのは始めてかもしれない。それなりにショックを受けたし、こう言っては失礼かもしれないが「新しい死のかたち」なのかもしれないなと思った。

  友といっても一度も言葉を交わしたことはなかった。私の Facebook アカウントでは、IT 関係で生計を立てている友人が少なくない。私自身、一時期都内で開催される IT 系の勉強会に参加していたせいだろう。勉強会といってもほとんどフリー参加で、聞くだけでも良いという非常に敷居の低いものだった。最近は上京する情熱もお金もなくなったので参加していないが、今でも勉強の主催者や参加の皆様には感謝してもしきれないと思っている。

 OSS系の勉強会だったのだが、参加していた頃にその出席者から Facebook の友だち申請が来て、あれよあれよと言う間に友達が増えていった。今回お亡くなりになった方はその流れで友達になった方だった。私は時より日本各地で開催されているオープンソース・カンファレンスにも参加していた。オープンソース・カンファレンス東京でその方を数回お見かけしたことがあって、いつかは挨拶しようと思っていたのだが、私自身ほとんど東京に出かけることがなくなってしまいその機会を逸してしまった。非常に悔やまれる。

 

 あとで知ったのだが、その方はIT系のベンチャー企業の社長だったようだ。精力的に日本各地で開催されるイベントに参加されていたようだが年が変わったあたりから体調を崩されていたようで、病院に入院する、ICUに入る…というところまで自分で Facebook に投稿していた。そのうちにその投稿に「ご冥福をお祈りします」というコメントが続いて付くようになった。Facebook では投稿に「いいね」と付けるとその投稿にコメントが付くたびに通知が表示される。それで異変に気づいたのだった。その方のページを開くと彼の部下にあたる方が事の顛末と葬儀の日程などを投稿していた。

 

 SNSの友達とはいえ、一度も実際に言葉を交わしたことはなく、それでも何回かは OSS について FB でコメントを交わしたことはあったので全くの他人ともいえず、その死に「立ち会い」、多少なりともその方の半生を知ることができた。葬儀の後にはその方の奥様からのコメントも拝見した(奥様も Facebook アカウントを持っていた)。非常に悲しいことなので、こう書いては不謹慎かもしれないが、妙な「新しさ」を感じた。

 

 

 Facebook をやめた、アカウントを削除した、という話もたまに見かけることがある。私は日常的に会う友達で Facebook アカウントを持つ人が少ないのだが、そういう方から聞いたのだが、Facebook でしつこく絡んでくる者、商材を売りつけるなどの行為をする者などもいるようだ。私の場合、そういうことはほとんどないので本当に Facebook の友に恵まれているのかもしれない。そしてそれは少なからず IT 系の事業従事者が友に多いことのお陰なのかもしれない。今回お亡くなられた方はそのような私の SNS ライフを豊かにしてくれた方の一人であった。謹んで哀悼の意を表したい。

 

 ところで特に私は Facebook にハマっているのだが、発端は帰国する米国人のリアルの友達にアカウントを作るように勧められたことであった。たしか 2007年のことであったが、当時は日本語に対応しておらず、「いいね(LIKE)」ボタンもなかったと記憶している。別の米国人には myspace を勧められたのだが、帰国する友から猛烈に Facebook を勧められたのだった。今となっては Facebook がこれから世界に広まるだろうと言っていた彼女の方が正しかったのかもしれない。ここらへんの私の Facebook での活動に関しては、このブログでも記事に書いてみたい。

 

 それから今回私が「新しい」と感じた死の迎え方、送り方は私の場合にもきっとあてはまる。彼が死の直前まで投稿していたように、私自身もそうするだろう。通常ひとは自分の死なんて予見できないはずだ。

 ひとの死後、その人の SNS などのアカウントはどうなるのか。おそらくは放置されて、ある一定の機関の後に消滅するのかもしれない。あるいは消滅せずにサイバー空間に澱のように溜まっていくものかもしれない。

 

 いずれにしてもある程度の年齢になったら、あまり使わないアカウントや投稿したコンテンツを削除したほうが良いのかもしれないな、と考えたりもした。