田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

95年後半に神戸を訪れた

 前回のエントリーで阪神淡路大震災後の神戸市を訪れたことを書く、と書いたのだがアレから一ヶ月もたってしまった。ブログを書くやる気をなくしていたのにはわけがある。次回のエントリーで書いてみたい(できれば一ヶ月以内に)。

 さて1995年は私にとって大変印象的な年だった。1月には阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件があった。ちまたにはインターネットが普及しはじめたと記憶している。私にとっては初めての海外旅行を経験し、夏には北海道を2週間近くバイクツーリングしてまわった。そして同じ夏、8月後半に西日本をこれまたバイクでツーリングし、その途中で神戸市に立ち寄ったのだった。自分が当時独身で親も元気で、比較的自由な時間があったからだが、今思い返してもよくやったもんだと思う。

 

 とにかくあの頃はインターネットも今のようにまだ普及しておらず、PC(というかマイコンと言っていたか?)愛好家の間ではパソコン通信が全盛であった。私はNIFTY-Serve (のちのNifty)の会員で、そこのバイク系のフォーラムで知り合った神戸市の方と知り合いになり、その方を頼ってかの地をツーリングの途中で訪れたのだった。震災から半年で震災の傷跡はあちこちにまだ残っていたが、瓦礫の撤去はかなり進んでいたようにみえた記憶がある。

 当時から私の職場でもボランティア休暇制度が整備されたと思う。私は情けないことにボランティア休暇を取得したことはないのだが、当時から献血を始めたし、東日本大震災熊本地震などでは少額ではあるが寄付をした。とにかく大したことはできてないが神戸市を震災の半年後に見て回った経験がなければ寄付もしてこなかったかもしれない。

 その方は当時まだ倒壊したままだった神戸市役所や彼が住んでいた長田区のあたりを案内してくれたのだった。瓦礫を片付けたあとだったのかちらほら空き地があり、そこの土が白かったのが非常に印象的だった。おそらくは砂地だったのだと思うが、私の住む関東北部では関東ローム層に覆われ白い土をほとんどみかけないので非常に印象的だった。

 

 彼は最後に北野を案内してくれて「若い女性に人気なんですよ」と話してくれたのだが、当時自分は一生結婚することはないだろうと思い込んでいた自分は「そうですか」くらいの返事で特にバイクを降りて見て回ることはしなかった。あれから二十年くらいたって北野を再び訪れたのだが、震災直後の北野もよくみておけばよかったと後悔したものだった。

 私は神戸を訪れた後、さらに西へ岡山・広島方面へバイクをすすめ、案内してくれた方と別れた。その後もバソコン通信で彼とは何回かメッセージを交わしたのだが、インターネットの普及や私がNityをやめたこともあって、すっかりそんなことがあったことも忘れてしまった。

 

 ただその案内してくれた方は地元でも精力的に活動されていた方のようで実名が印象的だったので今でも覚えていた。思い出したついでにお名前でネット検索してみたら2011年に既に亡くなっていることに気づいた。喜多陽太郎さんにはすっかりお世話になってその後音信不通になってしまったことを大変申し訳なく思っている。いまさらだが哀悼の意を表します。本当に彼のお話を聞けたことは貴重な体験でした。