田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

冬晴れが続く関東

 埼玉県北部の田舎町で育った私は中高生の頃、自転車に乗って利根川を越えて隣の群馬県に遊びに行くのが好きだった。冬晴れの赤城おろしが土ホコリを舞い上がらせるなか自転車でよく出かけたものだった。県境を超えたその町は、私が住む町とほとんど同じ光景なのだが何かが違う、同じ埼玉県の隣町とも何かが異なる。その「何か」を見つけようとするのが私は大好きだった。交差点の赤信号のタイミングだったり、お店の看板の市外局番だったり、街行く学生の制服だったり…。今、大人になった自分が改めて思い返してみるとどうでもよい差異なのだが、それでもあの頃は似たような風景に潜む何気ない違いにワクワクしたものだった。
 そんな田舎者の私にとっての一つの転機は都内の大学に進学したことだった。

  本当は私は自宅から数百キロ離れた場所にある国立大学を受験したのだが失敗し、結局うかったのは都内の某私立大学だけだった。いわゆるすべり止めだ。不本意ながら入学するとそこには私と同じく志望校を落ちた者がたくさんいた。普通は大学入学といえば希望に満ちあふれているものと想像するが、私の場合は暗い大学生活の幕開けだった。同期にはほどんど大学に出てこないで(今で言う仮面浪人というものか)翌年某旧帝大に合格して去っていった者もいた。

 そんな暗い学生生活だったが、狭い世界のなかで育ってきた私にとって関東地方以外から来た者の話は新鮮だった。最初は不本意入学で通学するのも苦痛だったが、徐々に友達も増えて自分なりに楽しい学園生活を送ることができるようになっていったと記憶している。

 4、5月の頃はほぼ毎週のようにコンパと称して友達と飲み歩いていたような気がする。そんなおり、酒飲み話のなかで「裏日本」という言葉を使ったら石川県出身者にエラい勢いで抗議されてしまった。その頃、80年代初頭のテレビニュースなどではまだ普通に日本海側の地域の総称として「裏日本」という言葉が使われていたと思う。しかし裏というのは非常に差別的な表現だ。今となってはマスメディアでこの言葉は使われることはなくなったが、当時の私は何が悪いのかさえ理解できないでいた。それくらい視野が狭かった。

 

 また当時、金のない学生時代であったので、毎週のように飲み歩いていたが徐々にそのコンパの機会も減っていったと思う。そして今度は自分たちなりにあまりお金のかからない「暇つぶし」を考えるようになっていった。なにしろ携帯電話もインターネットもない時代だったので、毎日のように何か楽しめるようなことを探していたような気がする。
 あるとき別の友人と国立西洋美術館の常設展示を見に行ったことがあった。たしか当時常設展の学生入場料金は50円だったような記憶がある。とにかく少額で入れるのでたまに美術館に出かけていたと思う。
 その常設展で福井県出身の友人とある雪の風景の油彩を見ていて、私が「雪ってきれいだな」とつぶやいたらその福井出身者から猛烈な勢いでまた抗議されてしまったことがあった。彼は雪おろしの大変さ、腕や腰は疲れるし場合によっては死亡事故も起こることがある、雪なんてコリゴリだ、雪がきれいなんて関東人の発想だ、というようなことを矢継ぎ早にまくし立てられたのだった。
 今はインターネットがあるので西洋美術館の所蔵品も簡単に調べられる。たしかクロード・モネによる松方コレクションの一つ、「雪のアルジャントゥイユ」だったようだ。たしかに記憶違いではなく、私はこの絵を見ながら議論というか、一方的な抗議を受けたのだった。

collection.nmwa.go.jp

 

 そんなことも四半世紀以上がたちすっかり忘れていたのだが、ちょっとしたことで思い出すことがあった。
 少し前に私の妻の妹が、旦那の転勤で新潟に転居し、そこで体調を崩してしまうということがあったのだった。妻の妹は盆と正月くらいにしか帰省しないだのが、そのときに聞いたのは、あまりの体調の悪さに医者にかかったら「雪国鬱」と診断されたという話だった。

 たしかに関東は例年冬の晴れ間が続く、今年の2月の日本海側の大雪の頃も、関東地方だけは晴天が続いていた。これも関東西部の関東山地や群馬栃木の関東平野北部に比較的高い山があり、そこを超える風が水分を失い乾燥した空気に変わることによる現象だろう。私が子どもの頃はまったく意識をしていなかったのだが、冬期にほぼ毎日晴天が続くのは日本列島では珍しいほうなのだろう。そんな日光にあふれた関東から曇天や雪が毎日のように続く日本海側へ転居したら気持ちも体調も悪くなろうというものか。(ちなみに彼女は今ではすっかり新潟にも慣れ、通学路の雪かきも手伝う日々だと聞いている)

 

 狭い範囲で暮らしていると自分とは異なる環境、社会があることが認識できない。しばらく忘れていたが昔感じたこのことをまた思い返した。また忘れずにいたいものだ。

 

 ところでここでは天気の話をしたが他にも似た例はある。阪神・淡路大震災が起こったとき、その半年後に私は縁あって神戸市を訪れたのだが、復旧しつつもまた残る倒壊した建物に痛ましさを感じながらも、一番驚いたのは被災地域の土が白っぽいことだった。白い、というか今思えば砂地だったのだろう。六甲へ登れば土も白くはないが、少なくとも関東の赤土とはまったく違う土質だった。このときのことはまた機会があったら書いてみたい(と書きつつ忘れてしまうかも)。