田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、しばらくコメントは承認制にします。)

正月を祝うこと

 ダラダラとブログを書き続けている。2014年までは書くペースが落ちてきたのだが、2015年後半に記事がホットエントリー入りしたこともあって、多少更新ペースが戻ってきた。しかし基本的には個人のブログなので自分のペースで書きたいときに書いていこうと思う。ありがたいことに定期購読している方もいらっしゃるようだが、不定期で更新するので読みづらいと思うが、よろしくお付き合いくだされば幸いだ。

 

 さて、以前も書いたことがあったのだが私は何となくこの時期に正月を祝うことに後ろめたさがある。


 まったく個人的な話だが、自分は若い頃は左翼信奉者だった。理系の大学出身であるのでそれほど強烈ではなかったが学生運動の「残り火」のようなものを体験した。大学になんとか入学して右も左もわからないうちに、たまたま入ったサークルで先輩から「理事長が理不尽にもクラブハウスを壊そうとしている」と呼びかけられて座り込み、シュプレッヒコールなどを体験した。その後どうにか就職できた職場にはこれまたどういうわけか新左翼の某セクトの先輩がいて、今にして思うと私は洗脳されていたのかもしれない。
 昭和が平成に代わり(あの変わり目はすごかった。テレビ、ラジオが通常放送を一斉にやめて終日クラッシク音楽などを流し始めたのだった。日産が流していた井上陽水さんの「お元気ですか?」というCMが突如放送中止になったりした)、まさかの自民党社会党の連立による村山政権が誕生し、オウム事件が起こって「洗脳」という言葉が一般に使われるようになった頃から、今まで自分が信じてきた思想はなんだったんだろうかと思うようになったのだった。その後パソコン通信からインターネットの民間への普及を経験し、徐々に考え方が「民族派」というかネット右翼に共感するようになった。最近はその行き過ぎに危惧することもある。要するに今の私は昔でいうところのノンポリに近いのかもしれない。

 

 さてそのどうでもよい私の個人史と「正月を祝うことの後ろめたさ」がどう関係するのかというと、私は社会人になりたての頃、「元号法」に反対していた時期があった。この時期になると年賀状に「昭和○○年」なり「平成○年」と書くことに抵抗を覚え、しばらくは西暦で賀状を書いていた。ところが先ほどのように左翼思想への批判を覚えてきた頃から西暦を使うことにも何かしっくりこないことを感じて自分なりに暦について調べてみたことがあったのだった。驚いたことにかつて日本では2月11日の建国記念の日(旧紀元節)が元旦だったのだ。

紀元節 - Wikipedia

 もう少し丁寧にいうと日本書紀神武天皇が即位された日と思われる日を新暦グレゴリウス暦)に置き換えたのが2月11日ということか。たしかにあの頃ならば「初春」とか「迎春」という気分になるのではないだろうか。


 では現在世界的に使われているグレゴリウス暦ではなぜこの時期が、この冬至でもなく、旧暦の正月のような冬至後の新月でもない非常に「中途半端な」時期が1月1日なのだろうか。この点はどうもよくわかっていないらしい。

www.nao.ac.jp

結局、1月1日というのは、古代ローマ時代の暦の上で、名前もついていなかった冬の期間の前半がIanuarius (January)と呼ばれるようになり、それがいろいろな変更を経ながらも現在まで続いてきたという、長い歴史的経緯で決まったものです。天文学上の理由があって「1月1日をこの日とする」と決めたものではないのです。


  題名を失念してしまったのだが、ローマ役人の、冬至から始まる休暇が終わる頃を新年とした、ついでに冬至ヨーロッパに広く存在した冬至祭が後にクリスマスの母体となった、と書いてある本を読んだことがあった気がする。いずれにせよ現在の1月1日には天文学的な必然性はない。

 

 そんな体験があるので、今だにどうもグレゴリウス歴の1月1日の初日の出に向かって狂喜乱舞する(?)人たちの気持ちがわからないのだ。

 とにかく何はともあれ今年も良い年であることは願わずにはいられない。そして今年こそはスペイン語検定5級を取得するぞと、なんだかんだ言ってグレゴリウス歴の1月1日に私は思うのだった。 

  やはり私はノンポリだ。