田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

『漢文の素養』を読んだ

 『漢文の素養』を読んだ。出張中に買った本で職場の休み時間にでも読もうと置いておいたのだが、読むのに1年以上かかってしまった(笑)。うちでもっと早く読めばよかった。人口に膾炙した表現であるが、目から鱗の一冊だった。

 

漢文の素養   誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)

漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか? (光文社新書)

 

 

 漢文は古代中国の言語として当時の中国と交流する日本を始め、朝鮮、ベトナム等の周辺地域で用いられた。各国では支配階級のみが使用する「高位語」であった。それが時代が下るにつれ、日本以外では衰退し、逆に日本では江戸期の漢文ブームに見られるように盛んになる。この違いは何だったのか。

 

 ひとつは日本語が基本的に漢字かな混じりで独特の訓点が発達したことにある。レ点とか一二点とかのアレである。当初は秘伝であったものが広く世間に広まったそうだ。もうひとつが漢文を使う中流実務階級が日本にだけ育ったこと。この背景には徳川家康が設立した江戸幕府が関連しているとのこと。

 鎌倉期以降、日本では武家が支配する時代に移行していく。当初漢文を読むことのできる武士は少数だったようだ。ところが徳川家康朱子学を採用したことを境に一転する。家康は室町幕府織田氏豊臣氏の末路を見てきたので謀反を恐れた。そこで忠孝を説く朱子学を採用した。それが発端となって漢籍ブームが起こるようだ。中国本土で発禁となった中国王朝の体制批判書などが江戸で盛んに読まれたりしたそうだ。

 このことが江戸末期、中国大陸での異変を早くに察知するのに役立つ。清が欧米列強に蚕食されることをいち早く情報収集でき、それが明治維新に繋がったとのこと。なるほど。

 それから江戸期当初、忠臣蔵というかいわゆる元禄赤穂事件は「思想戦」であったとのこと。忠孝を解く朱子学に照らし合わせば主君の仇を討った赤穂浪士は武士の鑑ではないか。そもそも浅野内匠頭を処分した幕府に非があるのではないか。それでも浪士を処分するとなれば幕府のいう忠義とは何なのか…。いままで赤穂事件を思想戦と思ったことがなかったので本当に目から鱗だった。

 

 それから日本人の漢文を使う能力も明治以降急速に衰えたと筆者は指摘する。たしかに現代中国語では、経済、思想、自由…ちょっと思いつくだけでも多くの単語が幕末から明治にかけて西洋の言葉から日本人が漢字に翻訳されたものである。現代中国語の7割は日本人が作ったとの表現もあるようだが確かにそうかもしれない。でも今後はそのようなこともないだろう、と筆者は指摘する。

 たしか林望氏の『帰らぬ日遠い昔』で漢文の先生から今の生徒は爾靈山を知らないのか、と嘆かれる場面があったと思う。爾靈山(にれいさん)、203高地を乃木将軍が攻略したときに詠んだ漢詩である。中国語の7割は日本人が作ったと喧伝する人たちで乃木希典の爾靈山を知ってる人はそれほどいないのではないかと思う。

 

 コンピュータは現代中国語で「電脳」。たまにみかける単語である。今は日中間は冬の時代だが、細々とではあるが今後もある程度は中国との交流が続くのではないかな、と思っている。