田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

クリスマスにいつも思い出すこと

通勤途中の車で聞いていたラジオで「クリスマスを誰と過ごすか」という話題が少し流れていた。私はクリスマスには苦い思い出がある。

 

私はウルトラマンや鉄腕アトムをリアルタイムで見た世代である。要するにジジイである。今にして思うと、当時は「もはや戦後ではない」と言われたがよく見れば戦争の影響が完全には消え去っていない、そんな時代だったと思う。私が通う小学校のそばに小さな教会があった。たしかクリスマスの数週間前だったと思うがクリスマスパーティの案内ビラを配っていた。私はそれを持ち帰って母親に教会のクリスマスパーティにいって良いかと聞いたらこっぴどく怒られたのだった。おそらく私はパーティと思ったのだが実は「ミサ」の案内通知だったのかもしれない。小学生の頃は記憶が曖昧なのだが、とにかく我が子がキリスト教徒に改宗するやもしれぬと思って、母は絶対に行ってはならぬと激怒しただろう。そういう割には彼女は畳の部屋にクリスマスツリーを飾っていた。子供心にクリスマスに対して割り切れない思いを植え付けられたのだった。

 そんなことがあって以来、キリスト教徒以外がキリストの生誕を祝うのは邪道なのではないかと思っていた。

 

英語を教える外国人を複数知っているのだが、あるときカナダ人の方に仏教徒がクリスマスを祝うのはオカシイのではないかと聞いてみた。彼はキリストの誕生は誰でも祝うことができる、と答えたと記憶している。そんなものなのか。近代のキリスト教は商業主義とも密接に関係しているからどうでもよいのかな、とそのときは思った。

 

またその数年後、別のニューヨークのブルックリン出身のアメリカ人の友人ができたのだが、彼女にメリークリスマスと言ったら私の実家の近所ではそうは言わない、とも言われた。"Happy holidays!"という言い方が普通なのだそうだ。なぜ?と聞いたら近所にユダヤ人が多いから、とのことであった。

 

やはりクリスマスというのは基本的には宗教行事なのだろう。異教徒が祝ってもキリスト教徒には痛くも痒くもない、というか少しでも信者拡大の足しにでもなれば、とでも思っているのかもしれない。でもユダヤ教徒にはメリークリスマスとは言わない。

ほとんどがキリスト教徒でもない日本人が誰と過ごすかと悩んでいるのと同じ頃、ほとんどの者が英語を話すニューヨークの一角では Merry Christmas とも言わない。

 

ちょっと日本人は「脳天気」すぎるのではないかな、といつもこの時期になると悲しくなる。