専業農家の義父と同居している。うちでもトウモロコシを生産しているので以下の記事が気になった。
トウモロコシの粒の数は必ず偶数? 数えてみた :日本経済新聞
なるほど、花が対になっているので実は必ず偶数になると。はてなブックマークでは「ポータルZ臭がする」というコメントに笑ったが、よく取材した記事だと思う。
しかし私は全然別のことが気になった。トウモロコシの名前の由来を探るなかにモロコシの話が出てくるのだが、これってコーリャンのことじゃないかと思い出したのだ。最近はコーリャンという言葉すらほとんど耳にしないが、よく亡くなった親父が「戦争中は米がほとんど手に入らず満州産のコーリャンばかり食わされた」という話をしていたのだ。
モロコシ(蜀黍、唐黍、学名 Sorghum bicolor)は、イネ科の一年草のC4植物・穀物。熱帯アフリカ原産。日本国外での呼称、ソルガムをそのまま用いることもある。古くは中国での呼称であるコーリャン(高粱)とも呼ばれた。主要な栽培食物のひとつであり、穀物としての生産面積ではコムギ、イネ、トウモロコシ、オオムギに次いで世界第5位である。熱帯、亜熱帯の作物で乾燥に強く、イネ、コムギなどが育たない地域でも成長する。
そこでなぜか高校時代の漢文の授業が思い出された。国語の成績は芳しくなかったが漢文は大好きだった。杜甫の五言古詩「衛八處士に贈る」にはたしか「新炊黄粱を間(まじ)ふ」という一節があるが、これはお米にコーリャンを混ぜてごちそうしてくれたという意味だ、と国語の教師が話していた記憶がある。親父はコーリャンはマズイという話をしていたのになぜにごちそうなのだろうと思った記憶がある。
検索したら「衛八處士に贈る」のテキストがあった。
旧友との再会を喜び、お互い歳をとっていろいろと変わったなと酒を酌み交わしつつも明日の再びの別れを思う…そんな内容だったと思う。處士は任官しなかった在野の人。「衛八さんに贈る」くらいの意か。とにかく全文暗記させられた気がする。ほとんどの語句を思い出して我ながら驚いた。うちの子も大きくなったので、すでにそのときの杜甫の歳を私は超えていると思う。20年以上会っていない渡米したGさんはこのブログを読んでいてくれているかな…。
ついで調べると詩にある黄粱はオオアワ、現在で言うところの通常のアワであった。モロコシ(コーリャン)とは別物のようだ。
やっと高校時代の疑問が氷解した。しかしウェブ検索でちょっとした疑問も解決できるなんて長生きはするもんだな。