田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、しばらくコメントは承認制にします。)

子どもの剣道大会を見てきたのだが

 自分は柔道をしているので息子にも柔道をやってほしかったのだが、彼は剣道をしている。それはそれでよかったのかもしれない。さて、隣接市での剣道大会に息子も出場するということで連れていった。私がよく柔道関係で行くところなので、ちょっとした違和感を感じた。ローカルな話だが書いてみる。

(1)剣道の大会は非常に混みあう

 私は行きなれた場所であったので開場時刻ころに行ったのだが、会場前が非常に混んでいて驚いた。ちょっとした満員電車のようであった。今は柔道よりも剣道に人気があるのかな、と思ったのだが、開会行事のときに並んだ選手の数は柔道と大差なかった。

 竹刀とか防具を入れた袋が大きいのであった。柔道であれば柔道着を入れたバッグ一つで集合するのだが、剣道は持ち物が多い。そのせいか電車などの公共交通機関を利用する家族も少ない気がした。大概は自宅から自家用車同乗で選手が集まる。そういえば駐車場も剣道の大会のほうが混んでいた気もした。

 何気ない差が大きな違いを生むこともあるのだな、と思った。

(2)政治家の挨拶がほとんどなかった

 開会行事で非常に違和感を持ったのが、来賓挨拶の少なさであった。来賓は市長と地元選出国会議員の秘書だけであとは大会役員の挨拶であったと思う。柔道の場合は毎回のように国会議員本人が来る。国会議員が来ると必ずといってよいくらいに県会議員と市議会議長が来る。市の教育委員会からも来る、ということで来賓挨拶だけで30分はかかってしまう。
 そういえば今は国会会期中であったな代議士の欠席も仕方ないか、と思ったのだが、柔道の大会も会期中であった気がする。うーむ、この差はなんだろう…。

(3)女性の審判員が多い

 息子が出場中は会場の二階のギャラリーから漫然と眺めていたのだが、女性の審判員の多さに驚いた。そういえば女性の競技者も多い気がする。柔道の大会でもいることはいるのだが、非常に少ない。

 私の想像だが、審判員になるためには高位の段を取得しなければならないのだと思うので、審判員が多いということは比較的長期間にわたって剣道を続ける女性が少なくないということを示しているのだろう。これはうらやましいことだと思う。競技の発展には女性競技者の確保は欠かせない要素のひとつだと思うからだ。
 剣道は柔道と違って競技者同士が直接接触しないこともあって、子どもの大会を見ていると男女混合で団体戦を行っていた。男女が一緒に試合をしているところを素人が端からみていてほとんど違和感を感じない。割合高学年でも(その頃には腕力の差が出てくるとは思うが)結構試合や練習をしあうこともできるのではないかな、とも思った。防具も白色の面があることなどに私は初めて気がついた。ちょっとオシャレな感じもする。こういうところが女性からも支持されているのではないかな、と思った。

(4)明治以降いろいろと変化発展した武道

 私は以前、空手道のお手伝いをしたことがあった。(自分も少しやってみたが全然うまくならなかった)剣道の試合を見ていると目にも止まらぬ速さで技が決まるところや、ただ単にあたっただけでは有効な技とは見なされず、むしろ技が決まった後の姿勢、「残心」が大事だと意識させられるが、これは空手道にも共通することだと感じる。一方、柔道では「残心」を教えられたことはなかった。(柔術にも残心はあるそうだ)

 その点で、剣道や空手は柔道よりも武道的性格を色濃く残しているのかな、と勝手に想像する。ただ、空手にかかわっていたときは「流派」の存在をいつも意識させられていた。全日本空手道連盟はいわゆる四大流派から構成されているので基本型の種類は4の倍数である。この点は剣道や柔道にはない。流派の統一が明治初期の早い段階で行われたことが後の発展に大きく影響したと思われる。

 それから柔道の場合は何と言っても嘉納治五郎先生の功績が大きい。流派の統一に成功したのみならず世界各国への普及も成し遂げた。よく言われることだが、そのことと引き換えに柔道は武道からスポーツになった。簡単に功罪は問えないとは思うが、日本古来の武術が競技の種類によって異なる発展を遂げたのは、ある意味非常に面白いことだな、と息子の試合を見ながら思った。
 的外れかもしれないが、柔道の大会に来賓が多数くるのも嘉納先生の功績なのかもしれない、とも思った。