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田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

ブログを書くのはバカバカしいか?

misc

 いつもの週末である。柔道で膝をケガしてから週末の散歩をしないでいたが、昨日は出かけてみた。多少の違和感はあるものの、以前と同じように歩ける。かなり回復したと思う。7時を過ぎて日が高くなって出かけたので、新たな発見はなかったと思う。

 私は散歩をするとこのダイアリー(ブログ)に書いている。後で読み返すとそのときの情景が浮かんで前後にあったことを思い出すからである。記録をとって自分の健康管理の参考にしているという意味もある。それからウェブに書くことで、ひょっとしたら同好の方と遭う機会が得られるかもしれないと思うからである。実際ネットで知り合った方も多い。

ブログを書くのはバカバカしいのか?

 ポータルサイトを巡回していて、livedoorニュースで以下の記事を見つけた。ニュース一覧の見出しは"馬鹿らしくなってブログをやめた"であった。

 livedoor ニュース - やめる人、続ける人……独女がブログ・SNSを書く意味を改めて問う【独女通信】

「突然ですが、本日でブログを閉鎖することにしました……」

 ある日ブログに綴られていたこんなメッセージ。
 このブログの主のマサ子さん(32歳)はこれまで愛犬の写真や自分の趣味といった何気ない日常を丁寧に綴っており、更新もマメにされているし、知人からのコメントも多々あるブログで、とても閉鎖するようには見えなかった。一体何があったのだろうか?

 しかし実際マサ子さんに話を聞くと、特に何があったわけではないという。ただ「どうでもいい自分の生活を不特定多数に報告することが急にバカバカしくなった」というのだ。


 ブログを書くも書かないも当人の自由なのでどうでも良いことかもしれないが、私の場合は上記のような事情であり、それなりに意義があることと思っているので不定期ではあるがブログを書きつづけている。私の場合は散歩の記事は「埋め草」のようなもので、自分ではPC(特に Linux デスクトップ)のことがメインだと思っている。自分の失敗を晒すことで、他の困っている人の一助になるかもしれない、と思うからブログを公開している。


 興味関心の対象は違えどもブログを書いている人は同じようなものだとは思う。発信すべき内容、伝えるべき相手が見出せなくなったら、本当にそれは”馬鹿らしい"ことであろう。

中高生のプロフ、大人のブログ

 上記の記事を読んでいて、以前、小寺信良氏が書いた「『プロフ』の何が問題か」の一節を思い出した。

 SNSでもブログでも、多くの人に見られたいという思いは変わらないとは思うが、人を集めるコンテンツの内容が違う。SNSやブログで多くの人を集めるのは、面白いネタが書ける人である。面白いことを書くには文章力も必要だし、そもそもモノを多く知らなければ、さまざまなテーマについて語れない。日記ひとつでも、その人の経験や知識、人生観がにじみ出るからこそ、個性が立ち、面白いわけである。

 しかし中高生にはそれらの人生経験が圧倒的に少ないし、文章力も怪しい。そもそもプロフには、日記機能のようなものもない。では人を集めるにはどうするか。それは体を張って自己をギリギリまで露出するしかない、ということになるわけである。ここで男女の差が出てくる。

 この文の続きは是非、小寺氏の記事で読んでもらいたいが、最初の、馬鹿らしくなってブログをやめた方は、自分の生活を晒すことで他者との交流、反応を楽しんでいたのだろうが、対価として自分の私生活を公開することの危険性、あるいは無意味であることに気づいて止めたといったところかもしれない。

 私は、中高生のプロフと大人が書くブログは、当たり前のことだが、不特定多数に自分の持つ情報(コンテンツ)を発信するという構造が同じであると思う。発信するコンテンツがなければ、それは無意味なことだ。


 自分の意志でブログをやめることができるのだから、大人のブログは中高生のプロフよりは問題は少ないのかもしれない。いや既に中高生でもプロフ熱は冷めつつあるのかもしれない。


 書くことがなくなったら止めるのは当然として、いつかそういう日が自分にも来るのだろうか、とふと考えさせる記事であった。