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田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

沖縄に行ってきた

misc

 行ってきたと言ってもちょうど一ヶ月くらい前の話だ。もう少し早く旅行のことを書こうと思っていたが転勤の準備やら転勤後の処理で今になってしまった。もう記憶が薄れつつある。その中でも印象に残ったことを書いてみる。かえって直後よりもしばらくしてからの方が物事がよくわかるということもあるだろう。(ないか)

鼻の通りが良かった

 春先の沖縄訪問は私にとって初めての経験だったのが、変な話であるが、旅行中一度も鼻詰まりを感じなかったことが強烈な印象として私の記憶には残っている。私は花粉症である。2月から4月にかけて鼻がつまってしょうがない。ところが沖縄滞在中は全然鼻がつまらなかった。羽田を立つときマスクをしていたのだが、那覇空港に降り立ってマスクを取ったときから徐々に鼻腔が開くような感覚が感じられた。沖縄の各地で花が咲いているのを目にした。したがって花粉がまったく飛んでいないことはありえないのだが、私の鼻は詰まらなかった。おそらくは私がアレルギーを起こすスギやヒノキの花粉がほとんど飛んでいなかったのだろう。連日のように夕方に雨が降っていたのだが、湿度の高い空気も花粉の飛散を抑える効果があったのかもしれない。これだけでも花粉症の私にとって沖縄が魅力的に思えることの一つである。

 逆に帰路、飛行機に入った途端、鼻がむず痒くなりクシャミがでた。羽田ではまたマスクを装着したのだが、非常にがっかりしたことを覚えている。

運転マナーが良くない

 沖縄滞在中は旅の仲間とレンタカーで移動した。那覇空港そばのあるレンタカー屋のものを借りたのだが、レンタカーの規模が大きく驚いてしまった。さすがに鉄道網のない沖縄である(今はゆいレールというモノレールはあるが)。道中、ほとんど私の友人が運転し、私は少ししかハンドルを握らなかったのだが、沖縄の自動車運転手のマナーは良くない。私自身バイクで本州各地を訪れたが、それを思い出してみても沖縄は最悪に近いかもしれない。高速出口の渋滞で強引に割り込みされたり、ウィンカーを出さずに進路変更をする、という光景を数回目にした。それから車線を無視した運転。若い運転手が道路を反対側から斜めに横断して路地に入っていったのには驚いた。自転車を乗る感覚で自動車を運転しているのではないかな、とも思った。

 沖縄は本土復帰直後、通行区分を米国と同じ自動車右側通行から本土と同じイギリス流の左側通行に変更した。かなりの混乱があったそうである。そのことも多少影響したのかな、とも思ったが、私自身それほど多くの例を目撃したわけではないが、マナーの悪い運転手が高齢ではないように見えた。おそらく通行区分の変更は影響ないのかもしれない。

カラハーイのライブは楽しかった

 同行者がりんけんバンドのライブが見たいというので、サンセットビーチにあるライブハウス「カラハーイ」へ行った。スケジュールを確認せずに行ったので残念ながらりんけんバンドの演奏はなかったが、女性若手デュオの "churaku" とティンクティンクの演奏があった。沖縄の料理を食べながらのライブで沖縄に来た甲斐があったと思った。ティンクティンクは既にデビューして活躍している。私はほとんどテレビを見ないのだが、彼女達の歌声は聞いたことがある気がした。たしか「珊瑚の子守唄」という曲も歌っていた。YouTubeに動画があった。非常に神秘的で透明感のある歌声である。

書店で本を買った

 仲間と離れて単独行動できる時間があったので沖縄の書店で本を買った。今時どの本もどこでも買うことができるのだが、私は旅先でその土地のことを書いた本、現地で売れ筋になっている本を買うようにしている。

 今回は2冊の本を買った。ちょうどカラハーイへ行く直前だったので、一冊目は照屋林賢さんのフォト・エッセー集『うちなーぬ たからむん(沖縄の宝物)』本の帯のカレッジセールのゴリさんの「りんけんさん!また沖縄移住者が増えちゃうよ!!」という推薦(?)の辞が笑える。

うちなーぬたからむん―沖縄の宝物

うちなーぬたからむん―沖縄の宝物

 もう一冊は『癒しの島、沖縄の真実』 著者の野里洋氏は石川県金沢市の本土出身ながら琉球新報社に就職し、外国人(日本人を含む)の移住が制限されていた本土復帰前から沖縄で取材を続けてこられた方だ。前の照屋林賢さんも多少触れているが、沖縄は単なる「癒しの島」ではない。そこらへんの事情は本土の者は忘れてはならないと思う。そうは言っても決して経済的にはそれほど豊かではないにしても沖縄を訪れると癒される気分にはなる。本当に沖縄というのは不思議なところだ。この本には復帰前の沖縄の様子もいろいろと書かれている。そう言えば私が子どもの時は「琉球政府」と呼ばれていた。そのトップは主席であり、60年代後半から70年代初頭は、佐藤総理大臣と屋良主席の名前がニュースに出ない日はなかったかもしれない。「琉球政府」があったこと自体、本土では忘れ去られつつあるんだろうな、とも思った。

癒しの島、沖縄の真実 [ソフトバンク新書]

癒しの島、沖縄の真実 [ソフトバンク新書]

海軍司令部壕を訪れた

 沖縄と言えば、先の大戦のことは忘れられない。島内に米軍基地が幅を利かしているので忘れようにも忘れることができない。今回は前職場の慰安を兼ねた旅行で、あまり悲惨な戦跡は訪れない予定だったのだが、那覇市内の海軍司令部壕はあまりパック旅行などでは訪れないところでもあったので行ってみることにした。海軍司令部壕は、戦艦大和の撃沈などにも象徴されるように後方支援を断たれた海軍が最後に立てこもって玉砕した壕である。市内の小高い丘の内部にトンネルを掘って最後まで米軍に抵抗した場所である。司令官室には壁に筆書きでいろいろと言葉が書かれている。大田司令官の「大君の御はたのもとに死してこそ人と生れし甲斐ぞありける」という句は涙を誘った。戦争とは何なのだろうな、とも思った。
(参照)大田英雄 - Wikipedia


 どうも次の選挙では民主党は勝ちそうにもないのだが、小沢氏の防衛論に個人的には賛同する。沖縄から米軍をもう少し撤退してもらうには自衛隊の増強は避けられないんだろうな、とも思う。しかし先日の北のミサイル実験などを見ても、ちょっと現実的ではないのかな、とも。

 沖縄の旅を思い出そうとして最後は日本周辺の軍事的状況も少し頭をよぎったが、何はともあれ、また沖縄に行きたい、という思いが強くなった。