田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

秋葉原で驚いた

 私は農村地帯に住んでいるのだが、関東平野内であり都心へ電車で2時間ということもあって、年数回東京へ出かけることがある。昨日は「小江戸らぐ」という LUG (Linux Users Group)の活動の一環として秋葉原に行ってきた。秋葉原に行ったのは何年ぶりだろうか。

 実を言えばおそらく昨年も2回くらい秋葉原駅で下車している。しかし私はいつも駅の西側の中央通り側へ行く。昨日はヨドバシカメラの前での集合だった。昭和通り側へは降りたことがなく久々に道迷ってしまった。(後で思えば駅の真ん前なのだが、そこが集合場所ではないと勘違いしてグルグル周辺を歩き回ってしまった)

 私もかつては都内の大学に学び秋葉原へは幾度となく通ったものだが、駅周辺の、そして駅舎自体の変化に驚いてしまった。


 また秋葉原もご多聞に漏れずシャッターの降りた店もあった。LaOXのザ・コンピュータ館(いわゆるザコン)があった場所へもよく行ったのだが、今でも営業を続けているお店もあるがザコンが閉館してしまったのは寂しい。近くには更地もできていた。また再開発されるのだろうか。

 それから数年前、メイド喫茶ができた頃は非常に違和感があったのだが、今回訪れたときはそれほど違和感を感じなかった。慣れというのはおそろしいものだ。むしろメイド喫茶もひところの勢いを感じないのだが、気のせいか。


 毎回のことながら、秋葉原だけに限らず、東京というのは面白い街だと思う。昔と変らない部分もあるが、激しくその外観、構造を変化させているところが多い。年がら年中どこかしらで大規模な工事をしている。永遠の未完成都市、といった感じだ。

 ふと伊勢神宮の「神宮式年遷宮」を連想する。西欧のように建物を改修して長く使うよりも、全部壊して新たに建て直すことの方をありがたがる精神性というものをわれわれ日本人が持っている、そんな気がしてならない。

 ちなみに
 神宮式年遷宮 - Wikipedia

次に式年遷宮が20年ごとである理由としては、同じく確たる記録は無いが以下の理由が考えられている。

(中略)

3. 旧暦での「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日が冬至となる)が19〜20年に一度(メトン周期)である。

 冬至 - Wikipedia

古代には、冬至を1年の始まりとしていた。その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。中国や日本で採用されていた太陰太陽暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを朔旦冬至(さくたんとうじ)という。

 冬至が一年の始まりだったというのは他でも読んだことがあった。たしかクリスマスも冬至祭に影響されたのではなかったかな。

 寒空の中、秋葉原を歩いて、私の一年が始まったな、と思ったりした。