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田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

スポーツの指導と言うのはむずかしい

 ここのところなかなか日記が書けない。昨日は朝5:30から地元の子ども会の活動に参加し、仕事の後、今度は勤務地のボランティア活動に参加したので帰宅は9:00をまわっていた。かなり疲れている。

 それに(昨晩はさすがに寝たが)夜中は趣味のPCをいじっている。自宅のメイン機のUbuntuVMware-serverでWindowsXPと opensuse 11 を走らせている。ゲストOSでopensuseをインストールするときにハマった点があったのだが、また別記事に書く予定だ。ちなみにたまに使うKDEデスクトップは非常に良いものだ。


 さて昨日の朝の練習会のことだ。キックベースボールなるものの競技の練習を手伝っているのだが、昨日は近所のチームと交流試合であった。相手チームは監督さんが熱心に児童を指導しているという感じだった。片や我がチームは、どちらかと言うと緩い指導というか、児童任せに近い。6年生が指示を出すことも少なくない、という感じである。

 ルールがよくわからないスポーツ音痴の私はボーッと見ていたのだが、なぜか我がチームが勝ってしまった。それにもまして驚いたのは、試合中に相手の監督が自分のチームの高学年を激しく叱ったことだ。発端はその高学年の子が味方のエラーをした子を言葉で責めたてたことだった。


 事情がよくわからないので何とも言えないが(ひょっとしたら監督が激しく叱ったその子は監督さんの実の息子だったかもしれない)、その子がやった行為は許されざることだったが何もそこまで叱らなくても、とは思った。集団競技での指導では、ときには激しく叱責することも必要だとは思う。一人一人ではなく集団を動かすときはそれなりのエネルギーがいると私も思っている。しかし、特に対象が小学生のような低年齢層の場合はあまり激しい指導はかえって逆効果では、とも思った。

 先日、息子が通う剣道教室で子供たちの掛かり稽古のとき、あまりに動作が緩慢なのを見て先生が、掛かり稽古はこうやるんだとお手本を見せたことがあった。剣道の先生は特に言葉で解説しなかったのだが、先生の鬼気に勝る気迫でその後の子供たちの動きが見違えるようになった。剣道の練習後、先生が「学ぶとは盗むということでもある。皆さんは私が何も言わなくても、私の練習から何かを盗んでくれたんですよ」とまるでカリオストロの銭形のような言葉を語ったのが印象的であった。


 それから先のキックベースのことで考えたことは、よく指摘されることではあるが、あの監督さん自身があのような指導を受けてきたのではないだろうか、ということ。今更ながら「愛は愛を育て、憎しみは憎しみを育てる」という言葉を思い出す。(あれ、デューイの言葉だったかな?)


 たまたまウチから遠くない場所にある桐生第一高校の野球部のことが話題になっている。いろいろ批判はあろうが、出場を許可した高野連の判断に私も賛成である。

 実にスポーツの指導は難しいものだと思う今日この頃である。

(追記)
 桐生第一の件だが、レギュラーでない生徒のことだし今時、連帯責任もないだろうと思っていたが過去の処分との整合性がちょっと気になってきた。私は野球を(高校野球も)ほとんど見ないのでよく知らなかったのだが、いろいろ過去にあったんだな。私は以下の2ちゃんねるのまとめサイトで知ったのだが…。

  痛いニュース(ノ∀`):【高校野球】 桐生第一の出場認める…高野連

 群馬県民はどういう意見が多いのだろう?