田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、しばらくコメントは承認制にします。)

フェルマーの最終定理

 遅ればせながらようやく『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著 青木薫訳)を読了した。埼玉県民であり某大学数学科卒の私はもっと早くに読むべきだった。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 この本を文庫で買ったのは1年くらい前のことであったと記憶する。少し読んで机の上に積みっぱなしだったのだが、最近電車による出張が増え、時間つぶしにと読んでいた。出張が終わらないうちに読み終えてしまった。


 80年代、私が大学にいた頃、たしか AppleMacintosh を発表し、NECがPC-8800を出した頃だったと思う。「マイコン」がブームとなる前夜だった。先輩がTK-80とかいうワンボードマイコン(たしか当時はまだパーソナル・コンピュータという言い方がなかったと思う)をいじっていたが、何のことやら皆目見当がつかなかった。

 コンピュータといえば汎用機をさし、まだ個人が使えるような小型機(当時はマイコンと呼ばれた)が普及していなかった。私が在籍した数学科はまだ紙と鉛筆の世界だった。徐々にFortranなどを扱ったプログラミング実習も導入されていたが学生数ほどの端末がなく、入力はマークシートにコーディングして提出した。オペレータ(人)が処理して出力シートが出されるのが早くてその日の午後、デバッグして完成させるのに一週間というのもザラであった。


 そんな、ある意味牧歌的な環境で数学を学んだのだが、私は幾何系のゼミに所属し、モース理論あたりで学部を卒業してしまったものだから、恥ずかしながらこの本に書かれていることの半分は理解できなかった。(もちろん青木氏訳によるシン氏の文はわかりやすい。専門用語が具体的に何をさすのか、の意)数論、特に Algebraic Geometry などは本を買ってはみたもののほとんど手つかずであった。天才たちが跋扈する世界に凡人が踏み入る隙はなかった。

 大学の数学科に在籍していた頃、常に頭の片隅にあったのは「こんなことを勉強して何の役にたつのだろう?」という疑問であった。自分は志望の国立大を落ちて、すべり止めの私大数学科へのいわば不本意入学者であった。数学を志そうなどという意識は毛頭なかった。さきほど述べたように当時の数学科はまだコンピュータに無縁に近く、実習費を含めた学費は私学としては破格の安さだったのだ。それが私の入学した最大の理由だった。(しかし四色問題のコンピュータによる証明などを受け、コンピュータを挿入しようという気運はあったと思う。)

 ある老教授に「D.Hilbertは偉大な業績を残した後不幸な死を迎えましたが、数学的な業績と幸福な人生とどちらを選ぶかと問われたらどうしますか」と聞いたことがある。その教授は間髪を入れず「業績にきまっている」と答えられた。驚愕と羨望が入り混じった気持ちになったのを記憶している。

 ちなみに社会から隔絶した世界の玄関掃除をやらされているような気分で数学科の演習を受けていたのだが、若干のプライドが残っていた私は数名の奇特な友人たちとともに若い助手さんと単位の認定の足しにならない闇ゼミをしたり、物理科の連中とゲージ理論の勉強をしたりしていた。日常生活の役にたたないな、と嘆きつつも、かの有名なガロアの、5次以上の高次方程式の代数的不可解性の証明などには鳥肌がたつほど興奮したことを思い出す(そのわりにはよく理解していない)とにかく、就職活動にも格差が広がっていると報道される昨今の学生さんたちよりは幸せな時代を過ごしたのかもしれない。


 私は未だに数学関係の方々との交流もあり、上記の本の話をしたらその方(埼玉県民)は谷山豊の墓参りをしたことがあるとおっしゃる。そうなのだ。ワイルズは直接的には(ある条件の下での?)谷山・志村の予想を証明している。その谷山豊は埼玉県騎西町の出身であり、夭折しているのだ。これこそが私がもっと早くに本書を読むべきだったと感じた点である。埼玉県民必読の書とすべきとも思う(<誰も賛同しないか)


 私如きが墓前に参ったからといって供養になるとは思えんが、いつの日か騎西町を訪れたいものだ。
  http://www15.wind.ne.jp/~kisaihakubutukan/tisiki/4jinbutu/30.htm