田舎者Yの日記

片田舎のバイク乗り・Linuxユーザ、つまり変わり者のブログ

Dさんが私に語ったこと

 ニュージーランドからやってきた同僚のDさんもその任期が終わりに近づいてきた。この夏の終わりにはニュージーランドへ帰国する手筈だ。
 前から退任が近づいたら聞いてみようと思った質問を投げかけてみた。わざわざ来日するくらいだから、元から日本に興味のある方なのだが、「実際に日本にやってきてわが国に対する見方や考えが変わったのか」。彼の答えは以下の通りだった。


 まず日本は海の外から見た印象と、実際に日本国内に来て見た印象が全く違う。外からは日本はハイテクの国に見えるが、日本人の多くの人が日常的に高度な技術を使いこなしているわけではない。(うちの職場は高齢者が多いせいか、いまだPCで簡単な文書を作るのが精一杯の方が少なくない)
 社会的資本ももっと充実しているかと思ったがそうでもない。日常生活に不便を感じるほどでもないが、世界第二位の経済力の国とは思えない。都内でもよくホームレスを見かける。

 でもそれは不思議なことではないのかもしれない。よく知られているようにアメリカのGDPは世界一位であるがホームレスの問題はおそらく世界中で一番深刻だ。アメリカではお金やハイテク機器などが一部の人間の下に集中している。日本もそうなりつつあるだけなのかもしれない。

 私の母国であるニュージーランドはアメリカや日本と比べものにならないくらい小さい経済力だ。観光産業や第一次産業などでどうにか国家財政を賄っている。しかし、社会はうまく行っていると思う。少なくとも殺しあう社会ではない。(ちょうど長崎市長死亡のニュースが流れた後にDさんと話をしたので、そのことを指しているのかもしれない)


 私が「日本にはお金があるけど幸せに感じている人は少ないということかな」と聞くと、うなずきながら、お金がないと生きていくのは難しい。しかしお金があれば必ず幸せとも言い切れない。幸せって何なのか我々は考える必要がある、というような返答だった。


 貧富の格差は発達した資本主義社会の宿命なのであろうか。おしなべて社会的に成功した方々は努力家であると私は思う。努力の対価としてお金を得ることは至極当然のことである。しかし例えば、今日の報道によるとバージニアでの殺害者はお金持ちを怨む言動をしていたとも伝えられている。あの事件の犯人は特異な考えの持ち主だったと想像されるが、格差が広がりすぎるのも社会全体には良い影響を与えない。


 私はカミさんの実家に越してきてはじめて杵と臼による餅つきを体験した。Dさんもたびたび暮れの餅つきによんで、何回も餅を撞いてもらった。我が家では都合がつく限り、餅つきの日に親戚一同が顔をそろえるのだが、Dさんは餅つきはクリスマスのプディング作りに似ていると言っていた。クリスマスプディングも親戚が集まって作り、その後ゆっくりとクリスマスの一時を過ごすそうだ。しかしそうした風物詩も、日本の餅つきと同様に、海の向こうでも徐々に姿を消しつつあるとのことであった。


 チルチルとミチルは幸せの青い鳥を探しに行き何度も取り逃すが、最後は自分の家で青い鳥を見つけた。

 幸せというのはそういうものかもしれない。