昨日は仕事の都合で午前9時頃市街地(田舎町ではあるが)を車で走行していた。久しぶりに暴走族を見た。バイクの後ろにも乗り手がいる、いわゆる二ケツであった。ちょうど高校の授業が始まるころであり、高校付近に流しに来たのだろう。昔のニュースなどでは未成年で高校在学でないものをよく「有職少年」と表現したが、この言葉も聞かなくなって久しい。おそらく彼らもニートではないか。
暴走族を「珍走団」と呼ぼうというキャンペーンがある。
http://chinsou.hp.infoseek.co.jp/
たしかに言葉のイメージというのは影響力がある。暴走族というと、なにか格好良い感じがある。珍走団はマヌケなイメージだ。
最近も言うのかどうかわからないがDQNという表現もある。同年代の子たちから彼らが指示されることは以前よりは少なくなったのではないだろうか。いや、高校に通う生徒たちもゆとりの見直しで彼らにエールを送る余裕もないのかもしれない。むしろDQNと呼んで影で揶揄することが多いのかもしれない。珍走団という言葉よりもDQNの方が彼らにはダメージが大きいかもしれない。
私はバイクが趣味であり、中年暴走族珍走団の一員であるのだがw、本物(?)の珍走団にはバイクに乗る者として許せないことがある。彼らはバイクを粗末に扱っている。
ま、彼らにとってはバイクは飾りであり小道具なのだろう。あのメチャクチャな改造を見ればすぐ知れることではあるが、バイクを愛する者としてはもう少し走る機能を大切にしたらどうかと言いたい。例えば族車珍車でタイヤがまともだったことはほとんどない。大体は偏摩耗して、購入から一度も交換したことがないような状態である。あれでは制動力や路面のグリップも十分ではないだろう。
…と言ったところで彼らには馬耳東風である。しかし二十歳を過ぎると急速にバイク離れするのも彼らの特徴でもある。(最近は40歳で暴走行為検挙という例もあるようだが)
所詮はそんなものだ。
(追記)
そんな彼らも少なからず暴力団の構成員となっていくのだろうか。ウェブでも話題になっていた10月の外国特派員協会での菅沼光弘氏の講演が頭をよぎった。氏が言うように決して侮れない連中だ。