田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、しばらくコメントは承認制にします。)

埼玉県北部の田舎からの一考察

 NHK特集のワーキングプアをすっかり見逃してしまった。ウェブで関連記事を漁っていたところ下記のページを見つけた。

ワーキングプアのNHK特集で取材された秋田県仙北町出身の友人と今日、昼飯を食いました」
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060801/1154425850

 上記サイトのfromdusktildawn氏が書かれていることに激しく同意する部分もあるし、そうでない部分もある。私はいわゆる農村地域に住んでいるので一言書きたくなった。fromdusktildawn氏の論点とはずれる点もあるが、まとめてみる。

 私の言いたいことは以下の点

(1)やはり通常の農家は情報交換をまめにして、工夫を重ねている。
(2)たしかに農村地域には現金が介在しない「価値」がある。
(3)それでも農村でも格差を感じてしまう。

 (3)についてはfromdusktildawn氏が主張していることではなく、単なる私の意見である。

 まずfromdusktildawn氏が農村について書かれていることは、私の住んでいる埼玉県北部でもよくあてはまるということだ。農村の現状をよく表していると思う。ただし、うちの近所では自殺者はほとんどいない。それは埼玉が都会に近く、専業農家でもその子息は会社勤めが多く、典型的な農村ではないことが原因かもしれない。

 (1)について、fromdusktildawn氏は彼の友人の発言をこう書く。

また、米の値段が安くなって、生活が苦しくなった農家については、「そんなことは、ずいぶん昔から、経験的に分かっており、苦しくなっていく状況に対して、なんの手も打たないまま、苦しい苦しい言っているだけのマヌケではない。ほとんどの農家は、より高く売れる有機農業に切り替えたり、新しい作物、新しい売り方を工夫して切り抜けてきている農家も多い。いくら田舎者だからって、そういうことにまで知恵が回らないわけもなければ、何の創意工夫もしないほど愚かな人なんていない。それどころか、田舎者は、やたらと寄り集まって、寄ると触ると情報交換して、どこか一つの農家が上手いことやるやり方を見つけると、それがあっという間に、噂で広まって、次々に同じやり方をする農家が増えていく。」という論調でした。

 私のうちの近所でもまさにこの通りである。ちなみに私は40歳代の給与所得者だが、私の義父(専業農家)の年間総売上は私の年収の3倍を越える。うちの近所に私と歳が近い、会社をリストラされて専業農家になった方がいるのだが、年間総売上が1千万円を越えていると聞く。

 もちろんすべての農家がうまくいっているわけではないが、私の義父は農業生産について日々研究を重ねている。近所の方はよく義父のやり方を真似ている(<義父談)。私の地域では義父たちが早くからトウモロコシ生産を始めたが、数年のうちに町内に広まった。義父に言わせれば、埼玉北部では補助金なくして採算がとれないような米作に固執している農家は例えどんなに働いていても努力が足りないのだそうだ。(ただし耕作面積が広くて十分に収益を上げている場合は別だそうだ)

 単純に見える農家の作業に関しても「量より質」ということが言えると思う。

 (2)についてもfromdusktildawn氏の言われる通りである。
 我が家の食卓にはもちろんうちで作っている野菜が並ぶのだが、作っていないキュウリ、ネギやナス、ときにはゴーヤ、あるいはブドウやナシなど季節の野菜や果物が並ぶ。それは近所の方々やその親戚と「物々交換」しているからである。それもほとんど毎日である。親戚も介在するのでかなり遠くで作られた作物も手に入る。

 それらはたった先ほどまで「なっていた」ものなので新鮮でみずみずしい。おそらくその新鮮さまで評価に入れて貨幣に換算すれば、結構な値段になるのではないか。それらがタダで手に入るのだ。(変わりにうちの作物を出すので厳密には無料ではないか。でもタダ同然である。)

 ちなみにうちの庭先には「普通に」カブトムシやクワガタが飛んでくる。現金化できない「価値」があちらこちらに存在する。

 (3)について、fromdusktildawn氏の書かれていることとは関係ないのだが、私の住む片田舎でも格差が広がっているな、と感じてしまう。

 私がその格差拡大の原因と考えていることは三つある。

 ひとつは農村の後継者不足である。高収入を上げている農家はほとんど若い方*1が中心となっている農家である。お爺さん・お婆さんがやっているところは作業効率も悪く、情報収集も十分に行われていない。収入もなかなか向上しないので機械化も遅れて、ますます収入の差が開く…といった悪循環になっている。それでも息子・娘が同居して会社勤めをしているケースは給料収入があるのでそれほど深刻ではない。(ほとんどがそのような例だ)
 しかしなかには子どもが同居していなく老夫婦のみで農業をやられているケースも見かける。そのような例は、たしかにワーキングプアなのかもしれない。

 それから二つめはギャンブル産業である。うちの近所の農家でも自己破産された方がいる。ギャンブルに狂ってしまったそうだ。私が住む旧岡部町にはボートピアと呼ばれる場外船券売り場がある。パチンコ屋も多い。そう言った土地柄もあるのだと思うが、自己破産の話を複数耳にする。

 最近私は自分自身が「熱湯浴」だと自覚しているのだが、以前地元のパチンコ屋のほとんどは総●系だと聞いたことがある。少なからず北●●へ送金されていると私は思っている。もっとギャンブルとりわけパチンコには規制をかけたほうが良いのではないかと感じている。
 もちろんギャンブルによる破産は一次的には自己責任である。しかし田舎町にまで普通にパチンコ屋があり、カジノの類は認められていない…。何か規制に矛盾を感じてしまう。

 そして三つめは、田舎に限ったことではないと思うが、各家庭の教育力の差ではないかと思う。

 田舎に暮らしていて困ることもある。その一つに深夜や早朝に暴走族が来ることがある。都会では「暴走族」なんて死語に近いのではないだろうか。うちの近くでは幸いにして人数が少なく、すぐに去って行ってしまうのだが、ヤンキーなお子さんを何人か見かける。
 田舎では人口の移動が少ないので、大体どこの誰だが特定できてしまうようだ。そこで決まってでる言葉が「誰々のうちは昔からそうだ。ヤツの祖父さんもそうだった」という話だ。本人やその家族の責任というのも小さくないと思うが、いつも近所でそう言われてしまうとつらいだろうな…とも思う。とにかく家庭での教育というのはその家系の隆盛にも影響するな、と思う。


 以上、よくまとまらなかったが、fromdusktildawn氏に同意しつつ、私が普段田舎で感じていることを書いてみた。

*1:若いといってもほとんど私より歳が上である