田舎者Yの日記

定年退職して農業に従事している者のブログ

(海外からスパムコメントが続きましたので、しばらくコメントは承認制にします。)

4ヶ国語を勉強している

 自慢話のようなタイトルだが、私は若い頃からいろいろな言語を勉強しては、途中で挫折している。最近またそいう言語の中から4つばかり再挑戦しているということだ。

 

4ヶ国語なんて自慢できない

 自宅から程遠くないところに群馬県大泉町がある。なんと町民の1割以上が外国人で、そのほとんどが日系ブラジル人という町だ。その影響もあって私にも多少ブラジル人やペルー人の知り合いがいる。そのなかでたまたまあるブラジル人の奥さんと知り合った。ブロンズの髪の毛に青い目、やや細身で二重瞼がパッチリとした女優さんのような方だ。その方は日本語が非常にうまく、ボランティアで日本語通訳もされているとのことだった。
 聞けば彼女のお爺さんがイタリア人だそうで(おそらくお母さんがイタリア系ブラジル人なのだろう)、ポルトガル語、イタリア語、フランス語、スペイン語が話せるとのことだった。日本語も入れれば5ヶ国語も話せるということか。当然英語も話せるんだろうな、と思って聞いてみたところ「英語は全然ダメ」とのことだった。彼女によれば母語であるポルトガル語スペイン語、イタリア語、フランス語はよく似ているので学習するのが楽だったそうだ。いわゆるロマンス語族の言語ですね。日本語は親が(おそらく父親か?)が日本人だったので覚えたとのことだった。

 ブラジル人に限らず日本に定住する外国人は複数の言語を話す人が多い。日本語を話す人も少なくないので当然といえば当然だが、意外と在日ブラジル人、ペルー人にはポルトガル語スペイン語の両方を理解できる人が多い。ブラジル系の子どもたちとペルー系の子どもたちが一緒に遊んでいるところに何回か出くわしたことがあるが、お互いに自分の得意な言葉で話しながら、つまりブラジル人がポルトガル語を、ペルー人がスペイン語を話しながら遊ぶこともあるようだ。私は直接「君たちは何語しゃべってるの?」と聞いて確かめたことがあるので間違いない。よくお互いの言葉がわかるね、と言ったら「よく似ているから、わかるようになった」と日本語で私に返事をしてくれたことがあった。

 だから私が4ヶ国語を勉強しているといっても全然大したことはない。

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Windows Update がムカつく

 もともと私は短気だったのだけど、年をとるとともに怒る回数は減ってきたとは思っていた。でもやはり時折癇癪を起こしてしまう。この前の Windows Update もそうだった。長い。長過ぎる。原因は私のミスでもあるのだがアップデートに半日近くかかったときは流石にメゲた。

 我が家には実機や仮想ディスクなど Windows 10 が3種類ある。昨年のうちに XP や Vista は廃棄し、Windows 7 や 8 を 10 にアップグレードしておいたものだ。 Insider Preview も1セット所有している。
 冒頭のアップデートに半日かかった件は、仕事のファイルも扱うことがある Windows 10 Professional のノートPCに関してである。このPCはわざとSlowリングにして、なるべく Windows Update の適用を遅らせてきた。Windows Update は配布直後に不具合が発生することもあるためだ。しかしもうそろそろ良い時期だろうと Creators Update の適用を先週末に実行したのだった。私は普段早起きである(何しろ年寄りなので)。5時に起床して開始すれば出勤前までに Windows Update が終わるだろうと予想したのだが、甘かった。2時間を経過した7時になっても終わらない。(そのときはダウンロードが終わらなかった) そこで一旦シャットダウンして出勤し、帰宅後に再開したら今度は更新プログラムのダウンロードが終わった後でインストールが繰り返すようになってしまった。何度やっても再起動するとインストール前の状態に戻ってしまう。おそらくダウンロードを途中で中断したのが悪かったのかもしれない。

 このときはC:ドライブのディスクのクリーンアップを行い、一時ファイルやキャッシュなどをすべて削除し、「更新アシスタント」をダウンロードしてたっぷり時間をかけて実行することにより Windows Update を適用することができた。

 しかしいつからこんなに Windows Update がメンドクサクなったのだろう。

 実のところ私は自宅ではほとんど Linux (特に Ubuntu)デスクトップを使用している。WindowsMicrosoft OfficeWindows バイナリ・ファイルを実行したいときだけだ。その Ubuntu は半年ごとに大きく変化するので(メジャー・アップグレードとでも言うのだろうか)、半年ごとにインストールしなおしている。
 こう書くと大変そうに思えるが、私は(Ubuntuの)ルートディレクトリとホームディレクトリのパーティションを分けていて、ルート側だけクリーンインストールし、その後フォーマットしていないホームディレクトリをマウントするのでインストール直後から以前の使用環境がほぼ復元される。
 UbuntuインストーラBitTorrent で落としているのでダウンロード開始からクリーンインストール完了まで1時間はかからない。1時間どころか時によっては30分くらいだ。そんなこともあるので Windows Update が重く感じられてならないのだ。

 とにかく今回 Windows Update で多少失敗してしまったので次回は週末の、外出しなくても良い日に、一気に3種類の Windows 環境をアップデートしてしまおうと思う。それにしても Update のために起動するくらいのなのが私の Windows の使用頻度なのが情けない。

 ところで私は一時期サーバ管理者の真似事をしていた。最近はすっかりその手の業務から離れてしまった。それにしてもクライアントでこれだけ複雑なのだから Windows 7, 8.1, 10 の各種クライアントが混在するネットワークのサーバなんかとても複雑だろうなと想像する。WSUSを導入してもいろいろなケースがありそうで結構大変だろうなとも。
 家庭内のような小規模なサーバ・クライアント型ネットワークでもいろいろあるんだろうな、退職したらなるべく Windows を使わないようにしたいな、と妄想している。

(参考) 

www.atmarkit.co.jp

バイクを降りようと考えている

 50歳を過ぎて体力が落ちてきたことを実感することが多くなってきた。昨年愛車の大型オフロードバイク R100GS を夜、暗がりの、やや斜めの場所にセンタースタンドを立てて駐車していて、スタンドをおろした途端タチゴケしてしまった。タチゴケというのはバイカー用語で、普通はバイクが動いていない状態で倒してしまうことだ。
 スタンドをおろした途端、水平面を勘違いして自分とは反対側へ車体が傾きだしてしまった。立て直そうと引っ張り続けたが倒れてしまった。倒れてしまってから起こすのにも苦労してしまった、乾燥重量300kg以上のビッグオフロードなので簡単に起こせないのも無理はないが、以前ならもっと簡単に起こせたはず。

 また我が R100GS の状態もひどい。中古でたしか1999年に購入したが、衝突事故も一度経験してバンパーも多少変形している。シリンダーヘッド付近やプッシングロッドあたりのガズケットからのオイルの滲みも以前よりもひどくなってきた。以前はちょっとオイルが染みている感じで洗車すると気にならなかったが、最近はセンタースタンドをたてて数日駐車しているとスタンドまでオイルで湿ったようになってしまう状態。

 

 カミさんにバイクを乗るのをやめて手放そうと思っていると話すを大喜びしてくれた。正直ここ数年で一番の笑顔だったかも。実家の老母に話しても同様に大喜び。ま、それはそうか。

 自分はというとそうは言ったものの、まだフンギレていない部分もある。しかしオイルの滲みも日に日にひどくなってきている感じもするので、この夏、休暇が取れたらBMWの正規ディーラーに持っていこうと思っている。もちろん商品価値のつかないほど程度の悪いものだが、たしかBMWの製品は正規ディーラーが引き取ってくれるはずだ(そういえば今まで所有していたBMWのバイクは他の方に譲ったので、ディーラーに持っていくのは今回がはじめて)

 

 思えば私は年をとってから(30歳を過ぎてから)バイクを乗り出しだのだった。学生時代は一度もバイクに興味を持たなかったのだが、知り合った若者がバイク事故で亡くなったことがあり、「そんなにバイクって面白いのかな」と思い始めたと思ったら、もう自動二輪中型の免許を手にしていた(本当は勤務終了前や後に教習所に通ったのでした。昔の方が休暇を取りやすかった)。
 続けて大型の二輪車に乗りたくなり、十回以上「限定解除審査」に通った。とうとう限定解除に成功した翌年には普通に教習所で大型二輪も免許を取れるようになっていた(ハレー・ダビットソンから免許制度が非関税障壁だとの批判があったせいと噂された)。がっかりはしながらも試験で大型二輪に合格したプライドはあった。


 北海道へも大型バイクで行った。信州の旧中山道沿いに安房峠を超えて西日本へも行った。阪神・淡路大震災から半年後の神戸も訪れた。考えてみれば結婚して子どもができてからは関東近県しかツーリングで行かなくなったが一年に十回以上は遠出をしていたと思う。

 

 ウダウダと書き続けたが本当はバイクを手放したくない。でも自分の体力、衰えを考えるとそろそろそういう決断をしても良い頃かもしれない。

 そう心に決めた今月はじめ、何気なく入った書店で雑誌「モーターサイクリスト」が目に止まった。昔よく読んだ雑誌だ。たしか北海道などの長距離ツーリング特集だったと思う。新型バイクの紹介記事もあった。

www.facebook.com

 今はもうちょっと車重の軽いスクーター、できれば二気筒のモデルも良いんじゃないかな。これならもうちょっと乗れるんじゃないかなと思い始めている。とにかく今の R100GS を手放す決心はしたが、実を言うとスクーターくらいならもうちょっと乗れるんじゃないかなと思っている。

 ちなみに私のカミさんは私のブログに気づいていない(と思う)

PCのバックアップをとった

 今日は平日だが私は休みだったので、自宅のPCのバックアップを外付けHDDにとった。ニュースで盛んに報道されているランサムウェア(身代金要求型ウィルス)の対策も兼ねてのことだ。

 本来バックアップは定期的にとらなければならないものだが、最近さぼっていた。外付けHDDを普段は接続していないので準備が面倒なことと、自宅PCで扱うデータはそれほど重要なものがないと思っていることが原因か。いずれにしても複数台のバックアップで約半日くらいかかってしまった。

 

 ちなみに私は AOMEI Backupper の有償版を使用している。最初は無償版を使っていたのだが、動作が軽く比較的操作が分かりやすかったことと、有償版でもそれほど高価ではなく一応永遠にアップグレード(バージョンアップ)できると謳っていたから購入してみた。数回使ってみたが私は非常に満足している。
 操作がわかりやすいといっても機能がたくさんあるので自分がどの機能を使いたいかで悩む場面はあったことも書き加えておく。

www.aomeitech.com


 そういえば私がAOMEI Backupper を使うようになったキッカケはもう一つあった。

 私が今使っている Windows は、元々 Windows7 のインストールメディアを買ってOSなし組立デスクトップPCにインストールしたものにアップグレード版の Windows8を買って、 8 → 8.1 → 8.1UPDATE → Windows10 とアップグレードしてきたので、とてもいざというときにシステム再インストールする気になれず(というか 10 への無償アップグレードは終了しているので今さら無理)、システムバックアップと復元ができるソフトということで探して使い始めたものだった。
 実をいうと件のPCは Raid 1 のHDDでUbuntuデュアルブートするように設定してあるのだが、BIOS設定を変更しているときに一度うっかり Raid 構成を壊してしまいデータを全部破損したことがあった。そのときは幸いにもシステム等のデータをバックアップした直後だったので何とかシステム復元できた。このソフトでシステム復元できることも個人的に実証済みである。

 

 とにかく私のように Windows 8/8.1 から Windows 10 へ無償アップグレードした者はバックアップソフトを用意してバックアップをとっておくことを強くお勧めする。もちろん Windows 純正バックアップツールでバックアップしてもかまわない。以前は不具合がでるような記事もみかけたが、現在は正常にシステム再インストールできる趣旨の話もある。

Windows10無償アップグレード後に初期化を行うとどうなるのか - マイクロソフト コミュニティ

 しかし私はイマイチ不安なので、一発で復元できるソフトを買ってみた。他の方にも(AOMEI製品に限らず)操作が簡単なバックアップソフトをお勧めしたい。

 

世界と戦っている(語学アプリで)

前回のエントリーの冒頭でブログを書く気をなくしていたのにはわけがあると書いたが、それは語学アプリに没頭していたためであった。私は Mondley というやつ。私は iPhone で使っているのだが Android 版もあるようだ。

www.mondlylanguages.com

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95年後半に神戸を訪れた

 前回のエントリーで阪神淡路大震災後の神戸市を訪れたことを書く、と書いたのだがアレから一ヶ月もたってしまった。ブログを書くやる気をなくしていたのにはわけがある。次回のエントリーで書いてみたい(できれば一ヶ月以内に)。

 さて1995年は私にとって大変印象的な年だった。1月には阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件があった。ちまたにはインターネットが普及しはじめたと記憶している。私にとっては初めての海外旅行を経験し、夏には北海道を2週間近くバイクツーリングしてまわった。そして同じ夏、8月後半に西日本をこれまたバイクでツーリングし、その途中で神戸市に立ち寄ったのだった。自分が当時独身で親も元気で、比較的自由な時間があったからだが、今思い返してもよくやったもんだと思う。

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冬晴れが続く関東

 埼玉県北部の田舎町で育った私は中高生の頃、自転車に乗って利根川を越えて隣の群馬県に遊びに行くのが好きだった。冬晴れの赤城おろしが土ホコリを舞い上がらせるなか自転車でよく出かけたものだった。県境を超えたその町は、私が住む町とほとんど同じ光景なのだが何かが違う、同じ埼玉県の隣町とも何かが異なる。その「何か」を見つけようとするのが私は大好きだった。交差点の赤信号のタイミングだったり、お店の看板の市外局番だったり、街行く学生の制服だったり…。今、大人になった自分が改めて思い返してみるとどうでもよい差異なのだが、それでもあの頃は似たような風景に潜む何気ない違いにワクワクしたものだった。
 そんな田舎者の私にとっての一つの転機は都内の大学に進学したことだった。

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